過日、次の日曜(6月23日)に、長野県松本市で、光太郎詩歌に曲をつけた故・清水脩氏作曲の「亡き人に」「智恵子抄巻末のうた六首」「私は青年が好きだ」が演奏される、一般合唱団コーロ・カンパーニャさんの演奏会をご紹介しましたが、同日、北海道でも「智恵子抄巻末のうた六首」が演奏されます。

北海道教育大学札幌校グリークラブ・混声合唱団 OB・OG演奏会

期     日  : 2019年6月23日(日)
会     場 : 札幌市教育文化会館 小ホール  札幌市中央区北1条西13丁目
時     間 : 13:30開演
料     金 : 500円

北海道教育大札幌校の男声合唱団「グリークラブ」OBらによる演奏会。グリークラブは1957年創部。女子学生の増加に伴い、75年に混声合唱団になった。当日は、漫画家やなせたかしが作詞した合唱曲集「愛する歌」から「ひばり」、清水脩作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」など15曲を披露する。混声合唱団のOB・OG、現役生の計約20人も出演し、4曲を合唱する。


フライヤー(チラシ)等の画像がネット上で見つかりませんでした。

010「智恵子抄巻末のうた六首」は、それまでにも独唱歌曲や箏曲で、光太郎詩に曲をつけたり、光太郎詩の朗読に乗せて演奏したりといった作品をいろいろ作られていた清水氏が手がけた、初の光太郎テクストによる合唱曲です。まず男声版が昭和39年(1964)に作られ、混声版へのアレンジが昭和42年(1967)、消長の激しい合唱曲の世界で、古典的定番の一つとして歌い継がれています。

終わってから気がついたのでこのブログではご紹介しませんでしたが、今年3月には、目白の学習院大学さんで、同大輔仁会音楽部大学男声合唱団さんと神戸の甲南大学グリークラブさんの交歓合唱演奏会でも演奏されました。

「うた六首」は、昭和16年(1941)刊行の『智恵子抄』に収められた、智恵子をモチーフとした短歌六首です。

 ひとむきにむしやぶりつきて為事するわれをさびしと思ふな智恵子

 気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり

 いちめんに松の花粉は濱をとび智恵子尾長のともがらとなる

 わが為事いのちかたむけて成るきはを智恵子は知りき知りていたみき

 この家に智恵子の息吹みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず

 光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき

それぞれ正確な作歌時期は不明ですが、「ひとむきに……」は大正13年(1924)10月の第二期『明星』がおそらく初出です。「為事」は「しごと」と読みます。

「この家に……」、「光太郎智恵子は……」の二首は、昭和13年(1938)9月の『いづかし通信』に発表されました。したがって、智恵子存命中。以前にも書きましたが、智恵子歿後の作と勘違いされることが多くあります。

「気ちがひと……」、「いちめんに……」は、智恵子の没した翌年の昭和14年(1939)、『中央公論』に「旧詠一束」の題で掲載された15首に含まれ、これが現在確認できている初出です。ただ、「旧詠」ですから作歌時期は遡るでしょう。「この家に……」、「光太郎智恵子は……」も同じ項に再録されています。

また、「気ちがひと……」は、戦後、花巻の佐藤隆房(宮沢賢治主治医、光太郎の花巻疎開に尽力、戦後すぐには光太郎を自宅離れに約1ヶ月住まわせました)に贈った智恵子紙絵にこの歌を揮毫してもいます。「おどろしき(おとろしき)」は、「恐ろしい」の意の古語です。

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『智恵子抄』で「よばむとすなり」だった結句が、戦後のバージョンでは、「よばむとすらむ」と変えられています。「よばむとすなり」の「なり」は、伝聞推定の助動詞。「呼ぼうとしているようだ(そういう声が聞こえる)。」とでも訳しましょうか。「よばむとすらむ」の「らむ」は、やはり助動詞ですが、複数の意味のうち「現在の伝聞」を採ればほぼほぼ同じ意味です。光太郎、短歌はきちんと書き留めておかない習慣だったので、この変更にはそれほど深い意味はないのでは、と思います。

「いちめんに……」は、昭和9年(1934)の、智恵子の九十九里浜での療養生活を下敷きにしています。

「わが為事……」は、やはり昭和14年(1939)の『知性』に載ったのが現在確認できている初出です。こちらも「旧詠一束」の題で15首載せられたうちの1首です。

この6首以外にも智恵子を詠んだ光太郎短歌はけっこうありますが、それらは採らず、作歌時期もばらばらなこの6首を『智恵子抄』の巻末でピックアップした光太郎の意図をくみ取りたいものです。


閑話休題、今後とも、清水脩氏作曲の光太郎詩歌に曲をつけた楽曲、演奏され続けてほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

人としてのフアン ゴツホを知るには是非見て置く可き書物の一つだらう。兄を此上無く敬愛してゐた妹が女らしい緻密な筆で書いたやさしい回想録。凡てを内側から照らし出してゐる。

雑纂「訳書広告 エリザベト ゴツホ「回想のゴツホ」」より
 大正10年(1921) 光太郎39歳

『回想のゴツホ』は、フィンセント・ファン・ゴッホの妹であるエリザベート・ゴッホによる評伝。この年、光太郎の訳で叢文閣から出版されました。