アートオークション大手の毎日オークションさん。時折、光太郎や光太郎の父・光雲関連が出品されます。

6月8日(土)開催の「第608回毎日オークション 絵画・版画・彫刻」では、光雲の作が出ます。 

第608回毎日オークション 絵画・版画・彫刻

日  程 : 2019年6月8日(土) 10:30~
下 見 会  : 2019年6月6日(木)・6月7日(金) ともに10:00~18:00


光雲の作、まずは木彫の「恵比寿・大黒天」。

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弟子の手が入った工房作ではないようですし、2体一組ということもあり、予想落札価格がかなりの額になっています。


同じく木彫で、「大聖像」。

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同一図題の作品が昨年も出品されましたが、別物のようです。「大聖」は孔子のことで、光雲が好んで彫ったモチーフでもあり、各地の美術館さんにも類似作が収められています。


続いて、木彫原型から抜いたブロンズ。まずは「慈母観音」。

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光雲と縁の深かった、東京駒込の金龍山大圓寺さんに、よく似た木彫の慈母観音像が寄進されています。類似作から型を取って鋳造したもののようです。光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった髙村豊周による鋳造とのこと。

先月、智恵子の故郷、福島二本松に行った折、この手の作品をお持ちだという方に写真を見せていただきました。そちらは「養蚕天女」でした。木彫のものは大小2種、宮内庁三の丸尚蔵館さんに納められていますが、ブロンズのものが流通していたりするのですね。


さらに、やはりブロンズの「恵比寿大黒天」。

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こちらは誰の鋳造ともわからず、欠損部分もあるようなので、あまり高い値段は付かなそうです。


いつも書いていますが、然るべき所に収まって欲しいものです。


【折々のことば・光太郎】

モデルを眼の前に見ながら、それがどうしても分らない。いはば徹底的にモデルの中に飛びこめない。一体になれない。自分の彫刻とモデルとの間の関係がどうしても冷たい。ロダンの彫刻にあるような、あの熱烈な一体性が得られない。動物園の虎の顔をいくら凝視しても虎の気持ちが分らないやうに、モデルの内面が分らない。

散文「モデルいろいろ2 ――アトリエにて7――」より
 昭和30年(1955) 光太郎73歳

遠く明治末、パリでの体験の回想です。

留学前、日本では彫刻のモデルは職業として確立して居らず、周旋屋のような老婆が手当たり次第に金銭的に困っている人などをスカウトして美術学校へ派遣していました。したがって、体格も貧弱だったり、途中で勝手に来なくなってしまったりと、さんざんだったようです。

その点、留学先、特にパリでは、さまざまな美しい職業モデルと接することができました。しかし、畢竟するに、生きて来た文化的背景の違いから、西洋人の内面を真に理解することは不可能という思いにとらわれます。モデルの指の動き一つとっても、どういう意味があるかさっぱり分からないとか……。光太郎のフランス語会話力には問題ありませんでしたし、コミュ障的な部分があったわけでもありませんでしたが……。ただ、逆に言うと、表面的なつきあいのみで、西洋人を真に理解したつもりでいた輩よりは真摯な悩みだったといえるでしょう。光太郎、結局、10年の留学予定を3年半ほどに縮め、帰国の途につきます。

ディスるわけではありませんが、光雲ら、光太郎より前の世代の彫刻家たちには、光太郎のこうした悩みそのものが理解不可能だったことでしょう。