北海道から講演会の情報です。
講演会 近代日本彫刻のあけぼの―高村光雲・光太郎、荻原守衛を通して―
期 日 : 2019年6月2日(日)会 場 : 札幌文化芸術交流センター SCARTS
札幌市中央区北1条西1丁目 札幌市民交流プラザ2F
札幌市中央区北1条西1丁目 札幌市民交流プラザ2F
時 間 : 10時30分~12時
料 金 : 500円
ご受講の方は彫刻美術館で開催中の砂澤ビッキ展―樹―」展を無料でご観覧いただけます。
講 師 : 新関伸也氏(滋賀大学教育学部教授)
美術の教科書でもおなじみの彫刻家たち。仏師としての修練をつみ、西洋の写実を取り入れた光雲。その息子にしてフランス近代彫刻の巨匠ロダンに心酔した光太郎。そして西洋彫刻のもうひとりの紹介者であり、日本近代彫刻の礎を築いた荻原。日本の伝統的な技法と、西洋由来の彫刻が出会った時代に、彼らが生んだ作品の魅力とは?
※本講演会は彫美連続講座の第1回として開催するものです。彫刻の見方や楽しみ方を学び、芸術鑑賞の幅を広げる全4回の講座です。
※今年度より1講座ごとのお申込みとなりました。

昨年も光雲に関わる講座「銅像時代-明治150年の光と影」を開催して下さった本郷新記念札幌彫刻美術館さんの主催です。
光太郎の父にして明治木彫界を代表する光雲、さらに彫刻家としては光太郎唯一無二の親友だった荻原守衛、そして光太郎。この三者を取り上げるということで、ありがたい企画です。
申し込みは同館まで。お近くの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
美術史上から見ると、明治初期の衰退期に彫刻の技術面に於ける本質を、父の職人気質が頑固に守り通して、どうやらその絶滅を防いだことになる。彫刻の技術上の本質については無意識のうちに父は伝統の橋となつた。たとへば彫刻のこなしとか、木取りとか、肉合(にくあ)ひとか、つり合ひとかいふものは作品の高下に拘わらず彫刻に内在すべきもので、これを口やかましく父が伝へただけでも父の役目は果されてゐると見るべきである。
散文「父との関係1 ――アトリエにて2――」より
昭和29年(1954) 光太郎72歳
昭和29年(1954) 光太郎72歳
明治初年の廃仏毀釈により、仏師としての仕事が激減した際、同業者がどんどん転業していく中で、木彫の孤塁を守り通した光雲。光太郎はその部分の功績を評価しています。しかし、同じ文章で「結局父光雲は一個の、徳川末期明治初期にかけての典型的な職人であつた。」とし、特にその製作態度の部分で手厳しい評を与えてもいます。