昨日は、都内に出ておりました。駒場の日本近代文学館さんで調べ物の後、赤坂のサントリーホールさんへ。過日ご紹介した、第35回アイメイトチャリティーコンサートを拝聴。

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こちらは東京パイロットクラブさんというボランティア団体の主催行事でした。「パイロット」は一般的な「航空機等の操縦者」の意ではなく、「水先案内人」という本来の意味から転じ、社会全体の水先案内的にさまざまなボランティア活動に取り組むということだそうです。ちなみに同会の初代会長は神近市子。その後の歴代会長には村岡花子や平林たい子といった錚々たる名が並んでいます。一昨年、105歳で亡くなった日野原重明医師も名誉会員だったそうで。

「アイメイトチャリティーコンサート」は、同会の主要な活動の一つ。アイメイト(盲導犬)育成活動への助成を行うためのものとのこと。

昨日は、以前からこのコンサートに出演されてきた女優の一色采子さんが「智恵子抄」の朗読をなさるというので、はせ参じた次第です。

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開場前から長い行列。大ホールではなくブルーローズ(小ホール)での開催でしたが、キャパ400席弱の7割ほどが埋まったでしょうか。

開演前の一コマ。

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かつては美智子さまが皇后陛下時代にいらしたことも何度かおありだそうで、昨日ももしかしたら、と思っていましたが、それはありませんでした。ただ、お嬢様の黒田清子さんがお見えでした。黒田さんはほぼ毎年いらしているようです。

一色さん、まずは第1部の最後でご登場。「詩と音楽のマリアージュ 高村光太郎作「智恵子抄」より」ということで、ピアニスト田中健さんの奏でるショパンの楽曲に乗せ、「人に」(大正元年=1912)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「樹下の二人」(大正12年=1923)、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)の4篇を朗読なさいました。

一色さんの朗読を拝聴するのは、一昨年、二本松の智恵子の生家での催し以来2度目でしたが、凛とした中にも情感溢れる朗読で、いい感じでした。何度も書いていますが、一色さんのお父様の故・大山忠作画伯が智恵子と同郷で、智恵子をモチーフにした作品も複数遺され、そうしたご縁で智恵子顕彰にも一役かわれている次第です。

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第2部では、オペラの名曲の数々。その進行役を一色さんが務められました。

出演された音楽家の皆さん、非常にハイレベルでした。

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第2部のピアノ伴奏でご出演の渕上千里氏、前述の二本松での一色さんの朗読に際し、電子ピアノで伴奏をなさっていましたし、かつて故・平吉毅州氏作曲の混声合唱組曲「レモン哀歌」CD(平成11年=1999 フォンテック)に、ピアノで参加されていました。

実際にアイメイト(盲導犬)と共に生活されている音楽家の方の演奏もありました。その方々の演奏中、ステージでおとなしく座っている姿はほほえましいものでした。

インタビューもあり、ピアニストの高橋雅枝さんという方、右手の点字の楽譜を左手で読みながら右手の練習を、右手で左手の点字の楽譜を読みながら左手の練習をなさり、それぞれを覚えてから両手で演奏されるということで、なるほど、そういうふうにするのかと、初めて知りました。視覚障害のあるピアニストの方、皆さんがそうなさっているのでもないのでしょうが。

終演後のカーテンコール。アイメイト君も真ん中に写っています。

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さらに一色さんとお話しさせていただき、こちらも。

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なかなか見聞の広まる経験となりました。


【折々のことば・光太郎】

街を歩いて、あちこちで見かけた詩のかけらをこの冬中に詩集にまとめたい。すさまじいもの、浅間しいもの、いくつにも分れているような美をひつくるめた面白さだな。都会人の心なら、だれでも知つている東京の魅力だ。ほんとうは東京を礼賛したかつたんだが、街をうたえばどうしてもエレジーになる。結局、東京はそういうところなんだ。

談話筆記「新春放談」より 昭和29年(1954) 光太郎72歳

それを詩集にまとめるという構想は実現しませんでしたが、前年には「東京悲歌」という詩も書いた光太郎。岩手花巻郊外旧太田村で過ごした7年間の間に浄化されたその眼には、「東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ」(「あどけない話」(昭和3年=1928)という智恵子の気持ちが実感できたのではないかと思われます。