演劇の公演情報です。
会    場 : シアターKASSAI 東京都豊島区東池袋1-45-2
時    間 : 5/28(火) ~5/30(木)19:00 5/31(金)  14:00・19:00 
         6/1(土)  12:00・15:30・19:00
  6/2(日)  13:00・17:00
料    金 : 前売・当日共 3,800円/学割2,800円

脚本 清水邦夫 演出 大谷恭代

『いとしいとしのぶーたれ乞食』
首塚に棲みついている老人と老婆。老婆は何十年もおかげまいりの一行を待っている。そこへ「おかげまいりパック」のツアー客たちがやってくる・・・
  側見民雄 槇由紀子 町屋圭祐 尾﨑宇内 小野田由紀子 瀬沢夏美 夏谷理恵 環みほ 須藤正三 藤本しの
 野良のりオ  知野三加子 黒崎雅 今氏瑛太

『朝に死す』
長く続く壁の前。男は仲間を裏切った。女は男に捨てられた。生への絶望と渇望・・・名前も顔も知らなかった二人が話し始める・・・
  眞藤ヒロシ 牛水里美 小林司 鳥居きらら

二本立て(休憩なし)×Wキャスト公演。

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劇作家・清水邦夫氏の脚本による2本立て公演だそうです。

清水氏と言えば、平成3年(1991)に、光太郎智恵子を主人公とした演劇「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」を書かれ、小林勝也さん(光太郎)、故・松本典子さん(智恵子)他のご出演、木冬社公演ということで上演されました。

今回の作品のうち、『いとしいとしのぶーたれ乞食』の方で、光太郎詩「樹下の二人」(大正12年=1923)が使われるようです。「首塚に棲みついている老人と老婆」の会話が、「樹下の二人」からデフォルメされたものを含むようで。上記チラシの右上にも「樹下の二人」の一節が引用されています。

この作品、戯曲として書かれたのは昭和46年(1971)、清水氏まだお若い頃の作品です。ただ、初演は下って昭和58年(1983)。のちの「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」と同じく、木冬社さん公演でした。

おそらくこれが発展して「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」につながっていったのだと思われます。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

又新聞で、私が彫刻家であるのに文学部門から推せんされたのがをかしいといふので辞退したやうにも言はれたが、これは談笑の間に私が早解りするやうに、「それでは親爺におこられるよ」などといつたからであらう。又実際一旦文学部門で会員になつたら、その上重ねて美術部門で会員に推されるといふことはあり得ないことであらう。つまり私の場合で言へば、美術部門からはしめ出しを食つたことになるのである。

散文「日本芸術院のことについて――アトリエにて 1――」より
 昭和28年(1953) 光太郎71歳

この年、光太郎は日本芸術院第二部(文芸)会員に推挙されましたが、辞退しています。辞退者が珍しく、当時のメディアがその理由をいろいろ憶測を交えて報じましたが、それに対し、間違いもあるようだから、と発表した文章の一節です。

やはり彫刻家としての矜持があったでしょうし、そして、戦時中に書き殴った大量の翼賛詩によって多くの前途有為な若者を死地へと追いやったという反省から、文学部門での栄誉に浴することを辞退したのでしょう。