今日、5月20日は智恵子の誕生日です。明治19年(1886)生まれですから、満で133年ということになります。

そんなこんなで、一昨日、昨日と1泊で智恵子の故郷、福島二本松に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

5月18日(土)、まずは智恵子生家/智恵子記念館さんに。生誕祭ということで、のぼりや立て看。

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智恵子の居室を含む2階部分の公開期間は終わっていましたが、地元の上川崎和紙を使った紙絵制作体験が行われていました。

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物販コーナーも。

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こちらは智恵子クイズだそうで(笑)。

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生家裏手の記念館さんでは、智恵子紙絵の実物公開期間。10点の実物が出ていました。実物を見るたびいつも思うのですが、複製ではなかなか感じられない、ほんの僅かながら紙が重なっていることによって生じる立体感が見て取れ、感心しました。

その後、徒歩数分の鉄扇屋さんへ。築140年という蔵があり、生誕133年の智恵子も、この前を通って小学校に通っていたと思われます。

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こちらがサウンドシステムのスタジオ的になっており、こちらでシャンソン系歌手・モンデンモモさんと舞踊家の増田真也さんのコラボによるコンサート「モモの智恵子抄」が開催されました。光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているモモさん、この蔵でのコンサートは3回目くらいでしょうか。昨年も行われましたが急な話だったので当方は欠礼、平成27年(2015)以来でした。

モモさんと増田さん、東北各地を廻られてコンサートや病院の慰問講演等を開催されたとうです。5月15日(水)には花巻郊外旧太田村スポーツキャンプむらでの第62回高村祭でも。ただ、その際は増田さんは出演されず、モモさんのみでした。

増田さんは今年の連翹忌にもいらして下さり、そして花巻高村祭でもお会いしたのですが、そのダンスを拝見したことがなかったので、それが楽しみでした。モモさんとはもう20年来のおつきあいになりますが(笑)。

午後4時開演。光太郎智恵子の軌跡をほぼ年代順に追う構成で、トータル1時間半近いステージでした。伴奏は鉄扇屋さんで販売しているスピーカーを通し、打ち込み系DTM。

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会場が狭いということもあったからでしょうか、増田さん、ダンスといいつつ激しい動きはほとんど無く、モモさんともども、折り紙をいろいろなモチーフとしての幻想的な世界を演出。折り紙が時に花となり、雪となり、千鳥が智恵子にねだる貝殻となり、智恵子の紙絵となり、トパアズ色のレモンの香気となり……。

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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」的な。

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なかなかに面白いステージでした。

今後、やはり光太郎智恵子ゆかりの場所でやりたいということですので、期待したいと思います。

この後、当方は智恵子の愛した「ほんとの空」の広がるる安達太良山中腹の岳温泉さんに宿泊。昨日は山開きで登って参りました。以下、明日。


【折々のことば・光太郎】

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一体では出せない或る雰囲気がこの二体の四肢胴体の交錯で出るわけなのだ。彫刻全体の面(めん)から起る明暗の処理、彫刻体量の比例の按排、構造上の煩簡の分布、離れた二体の造形的連絡、雰囲気醸成の基となる対向と親和とのかね合ひ、一切がこの組合せから来る。

散文「工房にて」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

「乙女の像」の小型試作2体を石膏取りしてもらい、その2体の組み合わせ方をいろいろ試行錯誤している際のことです。ちなみに石膏に取ってくれた職人は、光太郎と交流のあった道具鍛冶・千代鶴是秀の娘婿・牛越誠夫でした。

右はこの頃書かれた、「乙女の像」構想スケッチ。反故になった原稿用紙の裏に書かれたものです。わずかな前のめりのポーズで二体を向き合わせ、全体で三角形の円錐空間を作る意図が見て取れます。

下の画像はもう少し後、中型試作(左)も石膏取りし、本体(右)の制作も進んでいる頃のものです。

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