3月22日(金)、六本木の泉屋博古館さんを後に、上野に向かいまして、東京国立博物館さんで開催中の特別展 御即位30年記念「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」他を拝見いたしました。

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同じ皇室関連でも、泉屋博古館さんの 「華ひらく皇室文化 明治150年記念 明治宮廷を彩る技と美」が主に明治天皇の時代をメインにしていたのに対し、こちらは今上陛下と美智子さまを中心にした展示でした。しかし、会場に入ってすぐ展示されていた東山魁夷の大作「悠紀・主基地方風俗歌屏風」は、「華ひらく皇室文化」の図録にも掲載されており、そちらの巡回展のどこかで展示されたようで、かぶっている出品物もありました。

光太郎の父・高村光雲作の「養蚕天女」を見るのが主目的でした。今上陛下昭和8年(1933)のお生まれ、光雲は翌昭和9年(1934)に没しており、直接のつながりはないようです。あるとすれば陛下の生誕記念に光雲作の彫刻が献上された、的なことになりましょうが、そういった記録は見あたりません。

ではなぜ光雲の作が、というと、歴代皇后陛下が取り組まれている養蚕のからみです。明治期に照憲皇太后の始められた皇室御養蚕が、皇居紅葉山御養蚕所で今も続けられており、今回の展覧会では「皇后陛下とご養蚕」というコーナーが設けられました。

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で、光雲の「養蚕天女」。皇室には大小2種類が納められており、今月31日までは大きな方の作(像高約50センチ・大正13年=1924)が展示されています。平成28年(2016)に、宮内庁三の丸尚蔵館さんで開催された「第72回展覧会 古典再生―作家たちの挑戦」で拝見して以来でした。来月は小さな方(同25㌢・昭和3年=1928)にバトンタッチされるのではないでしょうか。

図録には大小の画像が並んで掲載されており、見比べてみると、ただサイズが違うというだけでなく、すこし趣が異なることがわかります。

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大きな方(左)は全体にスマートで、シュッとした感じです。大正期の作でありながら、そのお顔は美智子さまを彷彿とさせられます。小さな方(右)は、若干ふくよかな印象を受けます。ちなみに小さな方は大正13年(1924)の皇太子ご成婚を奉祝する御飾り棚一対を飾る各種工芸品の一つとして制作されたもので、他の工芸品とのバランス的なことも考慮されているかもしれません。

他には養蚕によって紡がれた絹糸で作られた物なのでしょうか、今上陛下ご幼少時のお召し物(図録の表紙に使われています)や、美智子さまのイヴニングドレスなども展示されていました。養蚕関係以外には、「外国ご訪問と文化交流」ということで、両陛下の外遊の際に紹介された美術品の数々など。

その後、特別展会場を後に常設展的なゾーンへ。トーハクさんでは、常設展といっても展示替えを頻繁に行っています。「近代の美術」のコーナーでは、時折、光雲の代表作で重要文化財の「老猿」(明治26年=1893)が展示されていますが、現在は休憩中(笑)。しかし、息子・光太郎の「老人の首」(大正14年=1925)が出ていました。


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光太郎と交流のあった思想家・江渡狄嶺の妻ミキからの寄贈品で、昭和20年(1945)に光太郎から江渡家に贈られたもの。光太郎生前の鋳造という意味では貴重なものです。

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東京美術学校での光雲の同僚にして、上野公園の西郷隆盛像の犬「ツン」、皇居前広場の楠木正成像の馬を担当した後藤貞行の「馬」(明治26年=1893)。楠木正成像の馬の原型か、とも思いましたが、若干フォルムが異なります。しかし、無関係ではないでしょう。躍動感がすばらしいと思いました。

さらに光雲の高弟にして、光雲と共に信州善光寺さんの仁王像を手がけた米原雲海の「竹取翁」(明治43年=1910)。光る竹の中になよ竹のかぐや姫を見つけ、驚く姿です。ユーモラスですね。


さて、「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」は、来月29日まで。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

詩歌の世界では人間内部の矛盾撞着を無理に無くする事がいいとは限らない。矛盾に悩んで、その克服に精進しながらも、その矛盾の間から出る真実の叫を表現せずに居られないのが此の道に運命づけられた者の業である。

散文「某月某日」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

同じ年に書かれた散文「自分と詩との関係」では、自分を「宿命的な彫刻家である」としています。「運命」と「宿命」、その使い分けには興味をそそられるところです。