3月22日(金)、品川の石井彰英氏邸をあとに、次なる目的地、六本木へ。泉屋博古館分館さんで開催中の 「華ひらく皇室文化 明治150年記念 明治宮廷を彩る技と美」を拝見して参りました。
都内ではすでに桜が見事でした。


桜前線というのは不思議なもので、自宅兼事務所のある千葉は都内より暖かいのに、早咲きの何とか桜の類を除けば、まだ開花していません。
泉屋博古館分館さん。

ゾーン的には2つに分かれ、一方は「鹿鳴館の時代と明治殿」ということで、主に明治期の皇室で使われていた日用品やボンボニエール(菓子器)などの類。こちらがメインと位置づけられているようでした。美術品の範疇には入らないのかもしれませんが、美術品と言っても過言ではない、明治工芸のクオリティーの高さが偲ばれます。
もう一方が、「明治宮廷を彩る技と美」。光太郎の父・光雲をはじめとする帝室技芸員らの作がずらり。
光雲の作は、明治32年(1899)に制作された「山霊訶護」。翌年のパリ万博に出品されたもので、現在は宮内庁さんの所有です。光雲令孫の写真家・故髙村規氏撮影による厚冊写真集『木彫髙村光雲』(平成11年=1999 中教出版)の函にも使われた、ある意味、光雲代表作の一つです。前期(4月14日(日)まで)のみの展示とのこと。

17年ぶりに拝見しました。天空から襲来する猛禽に襲われそうになる小動物をかばう山姥がモチーフです。小動物は山姥の足元の兎と、腰の部分に猿。猿が配されていたことを失念しており、「あ、ここに猿がいたんだっけ」と思いました。


光雲と交流のあった彫刻家の作品も出品されており、興味深く拝見。
東京美術学校で光雲の同僚だった石川光明の「狗児置物」(明治43年=1910)。モフモフ感がたまりません。

同じく光雲の同僚・竹内久一で「神鹿」(大正元年=1912)。今回のチラシににも使われた目玉の一つです。

それから、陶芸家の板谷波山。元々美術学校の彫刻科出身でしたが、その後、陶芸に転じたという変わった経歴の持ち主です。その波山の木彫「鮭」(明治期)。波山の木彫は初めて拝見しました。

ちなみに波山の陶芸家としての代表作「葆光彩磁珍果文花瓶」も出ていました。今回の出品物の中で、唯一の重要文化財です。会場の泉屋博古館分館さんの所蔵だそうで、「これはここにあったのか」と言う感じでした。
それから、日本画の橋本雅邦、漆工の柴田是真なども光雲の同僚。その他、陶芸の宮川香山、七宝の濤川惣助など、はやりの超絶技巧系の出品物もいろいろあり、目の保養になりました。
共催展として、3月20日(水)~5月18日(土)の日程で、学習院大学史料館でも展示が行われています。こちらもやはり明治期の皇室で使われていた日用品をメインにしているようです(光雲作品の展示はないとのこと)。

それぞれ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
結局顔はなるやうにしかならない随一のものだから、どうでもいい。無いと同じやうなものだと当人は考へるのが自然であらう。だから世の中で一番不明瞭なものは誰でも自分の顔だといふことになる。
散文「手形」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳
人ぞれぞれに、その人の生きて歩んできた来歴が顔に表れ、ごまかしようがないというのです。多くの肖像彫刻を手がけてきた光太郎の言だけに、説得力があります。