まずは『産経新聞』さん、東日本大震災がらみで、3月11 日(月)の記事。昨年刊行された和合亮一さんの詩集『QQQ』を紹介しています。

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詩集『QQQ』、表題作が光太郎詩「牛」(大正2年=1913)からのインスパイアで、その件にも触れて下さっています。その部分のみ引かせていただきます。

■やせた牛
 〈やせた牛はのろのろ歩く?/やせた牛は土を踏みしめて歩く?〉…。そう書き出される詩集『QQQ』の表題作は、すべての文章の末尾が疑問形。原発事故後の福島を生きる人々の心を覆う、答えの出ない問いの連続と響きあわせるように、「Q」をタイトルに連ねている。
 実際に目にした光景が基になっている。震災の1年後、和合さんはヘリコプターに乗り、事故を起こした福島第1原発から20キロ圏内の上空を飛んだ。車や船が手つかずのまま散乱するなか、主を失った牛たちも見えた。心に刻まれた超現実的な光景に、〈牛はのろのろと歩く〉と始まる高村光太郎(1883~1956年)の詩「牛」を重ねた。
 「高村光太郎の『牛』は豊かさの象徴でもあった。じゃあ今は?という疑問ですよね」。そんな不条理感覚が、収録された16の詩を貫く。除染作業で〈土の中に土を埋められ〉た庭が描写され、児童の多くが避難し廃校となった学校も出てくる。「時がたち、いつしか当たり前でないことを当たり前に感じている。でも悲しみや痛みが軽くなったわけじゃない。みんな心の奥に眠らせている状況だと思うんです」
 原発が立地する大熊町に一時帰宅した住民から聞いた話をつづる詩「家族」にも痛みはにじむ。思い出が詰まった自宅は荒れ果て、子供のぬいぐるみもぼろぼろに…。和合さんは、家の惨状を目にした住民が漏らした〈情けなくて〉というひと言を推敲(すいこう)段階で何度も削ったが、最終的には残した。
 「『情けない』や『悔しい』という言葉は、詩の解釈の方向性を限定しかねない。でもその言葉を入れることで、この詩は重力を持つ。思ったんですよ、自分がやりたいのは表現の斬新さではなく『感情の記録』なんだと。『復興』の掛け声に乗れない人々の、奥深くにある複雑な感情です」


続いて、『読売新聞』さんで、3月7日(木)の記事。同社も主催に入っている「東京国立博物館特別展 御即位30年記念 両陛下と文化交流―日本美を伝える―」の紹介で、目玉の出品物として、光太郎の父・光雲作の「養蚕天女」を大きく取り上げて下さいました。

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光太郎智恵子、それから光太郎実弟の豊周にも触れられています。


さらに『朝日新聞』さんの一昨日の夕刊。同じ「東京国立博物館特別展 御即位30年記念 両陛下と文化交流―日本美を伝える―」と、六本木の泉屋博古館さん分館および学習院大学史料館さんで明後日から開催される「明治150年記念 華ひらく皇室文化 ―明治宮廷を彩る技と美―」展(こちらも光雲作品「魚籃観音」が出るはずです)についても記述があります。

追記 問い合わせてみましたところ、泉屋博古館さん分館で、「山霊訶護」という木彫が出品とのことでした。

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どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

雲の切れた、明るい透明な西の夕空に、今宵は三日月と星のトルコの旗が美くしい。天体と天空との光度の諧調が目もさめるやうで、何か見知らぬ気体が其処に光を屈折してゐるとしか見えぬ。かういふ瞬間に所謂エエテル気層中の秘密がうかがへないものかしら。

散文「某月某日」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

「エエテル」(エーテル)とは、アインシュタインにより否定されるまで主流だった、光を波動として伝えるために必要な質物質で、宇宙空間に充ち満ちていると考えられていました。もともとは古代ギリシャで提唱されていた空気の上層を指す語でした。

光太郎は大正15年(1926)に書かれた詩「火星が出てゐる」でも、「エエテル」を登場させています。

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