3件ほど。
まずは昨日の『岩手日日』さん。
先人ちょっと身近に 浅沼さん 光太郎との思い出語る
彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)に理解を深める「高村光太郎先生に学ぶ会」が27日、花巻市太田の太田小学校(藤本実校長、児童113人)で開かれた。6年生24人が当時の太田村山口に暮らしていた光太郎について地域住民から思い出話を聞き、先人とのつながりを心に刻んだ。
同市太田の浅沼隆さん(77)が講師を務め、光太郎が山口小学校の入学式で来賓としてあいさつしたり、運動会を楽しく盛り上げたりしたエピソードを披露。山口の住民も、ごちそうを作った際は光太郎に持っていくなど親しく交流したと振り返り、「動物や自然に囲まれた田舎暮らしを満喫していた」と明かした。
同校では、サンタクロース姿や、野菜の栽培に精を出す光太郎の写真を飾っており、浅沼さんはそれぞれ「高村先生は学芸会の時にサンタクロースの格好で長靴を履いていた。駄菓子をくれた」「キャベツにたかったアオムシを取る手伝いをした。取ったアオムシを踏みつぶしたら『駄目だ』と言われた」と回想。
光太郎は山口に暮らしている間、彫刻制作を封印していたとされるが、「木彫りの小さいセミを作っていて、餅を持っていった時に見せてくれた。子供たちを大切にしていた」と心柄も伝えた。
児童は光太郎の作品の数や宮沢賢治との関わりについて質問し、「地域に溶け込んで暮らしていたことが分かった」「作品を一つ一つ見てみたい」などと感想。児童らは「生き物や自然、子供が好きだったことを感じた。いろいろな作品を残したすごい人だけど、少し身近に感じられた」と話していた。
浅沼さんのお父様は、光太郎の暮らした山小屋に近い旧山口小学校の初代校長先生でした。光太郎が移り住んだ当初は分教場だったのが、昭和23年(1948)に小学校に昇格し、赴任してこられました。浅沼さんは、小学校までしか配達してくれなかった光太郎あての郵便物を小屋に届けたりもしていました。
ちなみに、当方原作の「乙女の像のものがたり」に、「隆君」という光太郎がかわいがっていた少年が登場しますが、浅沼さんがモデルです。
浅沼さん、この他にも地元で光太郎の語り部的な活動をいろいろなさっています。ありがたいですね。
続いて、『日本農業新聞』さん。2月26日(火)の記事です。
原発事故―傷痕 今も 失われた日常忘れないで… 福島の“思い”描く
来月11日に東日本大震災から8年を迎える。愛犬との平穏な自給自足の生活、先祖伝来の土地での有機農業……。地震に伴う東京電力福島第1原子力発電所事故によって多くの人が人生を狂わされた。「原発事故の災禍を決して忘れてはいけない」。絵本で映画で、原発事故の風化に危機感を抱いた表現者たちは訴える。
老夫と愛犬 淡々と 絵本ロングセラー
原発事故が奪った、老夫とその愛犬の日常を描いた絵本『ほんとうの空の下で』がロングセラーとなっている。著者は福島県郡山市に住む、イラストレーターのノグチクミコさん(55)。来月11日で東日本大震災から8年。ノグチさんは「原発事故があった時、こういう人が生きていたんだということをたくさんの人に知ってほしい」と呼び掛ける。
絵本のモデルとなった川本年邦さん(享年87)は生前、福島県浪江町で自給自足の生活を営んでいた。物語は、川本さんが小学校や幼稚園で行っていた幻灯機の上映会の様子や愛犬シマとの笑顔あふれる日常から始まる。川本さんは、東日本大震災による原発事故の影響で避難を余儀なくされる。仮設住宅での生活の後、シマを里親に出し、高齢者住宅へ転居した。
ノグチさんはこうした姿を絵本であえて文章を付けず、変わりゆく生活を幻灯の映像を見ているように、一コマ一コマ淡々と描いた。ノグチさんは、「誰かを責めるわけではない。人によって、いろんな見方をしてほしい」と文章を付けなかった理由を明かす。また、「何回も読み返してほしいので、重たい、悲惨な震災のイメージは避けたかった」と鉛筆だけで柔らかな印象になるように色付けした。
本の題名は最後まで悩んだが、高村光太郎の詩集『智恵子抄』の「ほんとの空」にちなんで「ほんとうの空の下で」と命名した。川本さんが最期を過ごしたシニアホームの窓から見える空がとても狭かった。「せめて、本の中は本当の広い空で飾りたい」というノグチさんの思いから、物語の最後は川本さんが過ごした福島の空が描かれている。
絵本は2017年10月にノグチさんが自費出版し、600冊以上を販売した。雑誌の書評に紹介されるなど各地から反響が相次ぎ、1月から農文協でも取り扱いが始まった。農文協は「川本さんの生き方を全国の人にぜひ見てほしい」とPRしている。
問い合わせは農文協・農業書センター、(電)03(6261)4760。
最後に、『毎日新聞』さん。やはり2月26日(火)に掲載された、当会会友・渡辺えりさんによる人生相談のコーナー。
本題とはあまり関係ありませんが、光太郎の名が。お父様が光太郎と交流があったえりさん、やはり各所で光太郎について触れて下さるのでありがたい限りです。
ところで、同じ日にえりさんの事務所(おふぃす3○○(さんじゅうまる)さん)から葉書が届きました。
3月21日(木)のえりさんのコンサート、そして8月からの新作舞台「私の恋人」の案内でした。なんと、「あまちゃん」でえりさんと共演されたのんさんがご出演とのことで、驚きました。のんさんに関しては、ご存じの通り業界内でいろいろありますので……。以前にもえりさんから、当て書きでのんさんを起用する脚本に手を着けたものの、結局は断念せざるを得なかったというお話をうかがっていましたし……。
今回の「私の恋人」は、第160回芥川賞を受賞して注目を集める上田岳弘さんが平成27年(2015)に発表した同名原作をベースに、えりさん流の切り口で贈る音楽劇だそうで、えりさんご自身の念願だったという「“たくさんの役柄を少人数で演じきる”という手法に挑み、時を超え、性を超え、物理も超えて30の役をたった3人で演じる」実験的な手法だそうです。もしかすると、光太郎智恵子も登場するのかな、などと思っているのですが、どうなることやら……。
また情報が入りましたらご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
新議事堂のばかばかしさよ。迷惑至極さよ。何処に根から生えた美があるのだ。猿まねの標本みたいでわれわれは赤面する。新議事堂の屋根の上へ天から巨大な星でも墜ちて来い。
散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳
この年建設された国会議事堂に関する感想です。その建築としてのデザイン性には、光太郎のみならず当時の心ある造形作家の多くが批判をあびせました。のちに光太郎は「霊廟のやう」とも評しています。
そのデザインもさることながら、現今ではここに巣くう魑魅魍魎の方が問題ですね(笑)。
第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら。