サンタさんはやっぱりいるのですね。昨年の000クリスマスイヴの日のこのブログで、国書刊行会さん刊行の『中村傳三郎美術評論集成』をご紹介しました。定価27,000円+税の大著ですのでなかなか手が出ないもので、「サンタさんが置いていってくれていないものか」と書いたところ、本当に届きました。

著者の故・中村傳三郎氏のご子息であらせられる中村徹氏がこのブログをご覧下さいまして、それなら、と贈って下さった次第です。深く感謝いたしております。

重さ1.65キログラム、1,000ページ余、刊行までに3年余りかかったというのもうなずけます。目次だけでも10ページ、それも二段組みで(本文も二段組み)です。

編集は、小平市平櫛田中彫刻美術館学芸員の藤井明氏。氏からご労苦のさまを伺っておりましたが、実物を手にとって、改めてこれは大変だったろうな、と実感させられました。

「彫刻篇」「絵画篇」「工芸篇」に分かれ、国立博物館付属美術研究所(現・国立文化財機構東京文化財研究所)
に勤務されていた故・中村氏が、さまざまな新聞雑誌や展覧会図録などに発表された文章の集成です。ご専門が近代彫刻史だったため、「彫刻篇」の分量がもっとも多く、随所で光太郎や光雲に触れられています。その他、ロダンや荻原守衛、平櫛田中をはじめ、光太郎・光雲ゆかりの彫刻家が一堂に会している感があります。また、ともに光太郎と交流のあった鈴木政夫、土方久功など、一般にはほとんど知られていない彫刻家もしっかり紹介されているのには舌を巻きました。これを読まずして近代日本彫刻史を語るなかれ、という感がしました(当方もまだ読了していませんが(笑))。

なかなか個人では入手しにくいとは存じますが、およそ彫刻に関係する大学さんや美術館さん、それから公共図書館さんなどでは必ず置いてほしいものです。よろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

私は美術家としての生活を聊か変へた。もつと変へるであらう。従来の美術家の生き方がだんだん堪へられなくなつて来た。もう自分にはロダン流の、(又従つて日本の九分通りの、或は全部の美術家の、)生活態度が内心の苦悶無しには続けてゆけない。

散文「近状」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

元々展覧会への出品をほとんどしなかった光太郎ですが、さらに、注文を受けて作品を作る、という行為にも疑義を感じ、このような発言をしています。それではいったいどうやって生活して行くんだ、ということになります。結局は、「内心の苦悶」を抱えながら、注文仕事やら光雲の代作や下職(肖像彫刻をやや苦手としていた光雲のための原型制作など)やらを続けて行かざるを得ませんでした。