今日は成人の日。しかし、今日よりは、この土日に成人式を開催した自治体さんが多いようです。各地の成人式について、新聞各紙から。

まず、『岩手日日』さん。 

花巻市成人式 大人の自覚新た

 花巻市の2018年度成人式は12日、同市若葉町の市文化会館で行われた。男性409人、女性426人の合わせて835人が出席。華やかな振り袖や真新しいスーツに身を包んだ若者たちが、旧友との再会を喜ぶとともに式典や記念行事を通じて大人としての自覚を新たにした。
  市主催の式典では国歌斉唱、新成人代表4人による市民憲章の朗読に続き、上田東一市長が花巻で過ごした高村光太郎の詩「道程」を引用しながら「皆さんは小学校の卒業を目前に控えた時に東日本大震災を経験し、主体的な行動と自分で考えることの大切さを学んできたと思う。新しい時代を築いていく皆さんには柔軟なアイデアと大胆な行動力を持ち、光太郎のような道を進んでいくことを期待している」と式辞。小原雅道市議会議長が祝辞を寄せた。
  新成人2人の決意表明では、記念行事実行委員会委員長の佐々木小梅さん(大迫中学校出身)が専門学校卒業後に看護師になる目標を述べながら「これまで学んだ知識を生かし患者に寄り添いながら信頼される看護師になりたい。両親や成長を温かく見守ってきた地域の方々、友人に感謝の気持ちを忘れずに人生を歩みたい」、副委員長の町中大悟さん(西南中出身)は「大学卒業後にメディアの記者として働き、岩手の良さを伝えられる記者になりたい。大人の自覚を持ち社会に貢献できる人になりたい」と力強く語った。
  式後は実行委が企画した記念行事、出身中学校ごとの記念撮影が行われた。
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他にも全国の首長さんで、「道程」などを引用された方がいらっしゃるのではないかと存じますが、光太郎第二の故郷ともいうべき花巻市の上田市長が引用されるのは、重みが違うように思われます。上田市長のお父様は生前の光太郎と交流がありましたし、上田市長ご自身、毎年5月15日の花巻高村祭にはほぼ欠かさずいらして下さっています。


続いて、『朝日新聞』さんの宮城版。先週の記事です。 

宮城)女川・21基目「いのちの石碑」 刻む句を募集

016 東日本大震災の津波の記憶を後世に残そうと、女川町内21の浜に「いのちの石碑」の建立を目指す女川中学校の卒業生らが、最後となる21基目の石碑に刻む句を13日の成人式で募集することを決めた。
 取り組むのは2011年春に中学校に入学した生徒たちで、今年成人式を迎える世代だ。中学校の社会科の授業をきっかけに、「千年後の命を守ろう」と町内すべての浜で、津波到達点より高い場所に石碑を建てることを計画。13年11月に第1基を女川中学校前に建立して以来、現在までに17基が完成した。
 21基目は、20年に完成予定の町立女川小・中学校内に同年秋ごろの設置を目指す。これまでの石碑には、震災直後に生徒が詠んだ句の中から一句ずつを選び刻んできた。
集大成となる石碑には、新成人として一堂に会する同級生から募ることで意見がまとまった。石碑の設置場所を示した地図も作り、成人式会場で配布する。
 大崎市の専門学校生勝又愛梨さん(19)は、「募金など多くの人の支えでここまでやってこられた。石碑が一人でも多くの人の命につながるよう、これからも活動を続けたい」と話した。(山本逸生)

このブログでもたびたびご紹介してきた、女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクト「いのちの石碑」関連です。

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その女川町の成人式の模様、仙台に本社を置く『河北新報』さん。 

<成人式>夢見る思い未来紡ぐ 県内各地で成人式

017◎いのちの石碑建立の元生徒/教訓の伝承心に刻む・女川

 宮城県内の多くの自治体で13日、成人式が行われた。東日本大震災の被災地では、多くの新成人が、復興が進む古里への貢献を誓った。県によると、今年の対象者は県内で2万4018人。前年と比べ294人増えた。
 女川町の成人式が町生涯学習センターであり、東日本大震災の教訓を記した「いのちの石碑」を町内21の浜に建てる活動に取り組む女川中の卒業生約60人が出席した。今も続くプロジェクトの合言葉は「1000年後の命を守る」。会場で最後となる21基目の石碑に刻む俳句を募り、新成人が自分と古里の未来に思いをはせた。
 今はまだ あの日の夢の 道なかば
 作歌した大学2年の山田太介さん(20)は今、地球物理学を学ぶ。2013年11月に建立された1基目に刻まれた作品「夢だけは 壊せなかった 大震災」は、山田さんが作った。
 鉱物学者を夢見る思いは津波に遭っても揺るがない、との思いを込めた。山田さんは「震災後も夢に向かって勉強を続けてきたことをみんなに会って思い出した。自分は夢の途中にいる」と改めて気付いた。
 学業などが多忙でプロジェクトの集まりにはあまり参加できないが「津波の教訓を伝承していくという思いは変わらない」と話す。
 進んでく あの日のことを 忘れずに
 山下脩(しゅう)さん(20)は今、海上保安官として働く。震災から約8年がたち、古里の風景は様変わりした。
 「昔の街に戻ってほしい思いもあるが、未来に進むためには仕方がない」と語り「震災を心に刻み、これからの人生を歩んでいきたい」と力を込めた。
 プロジェクトは、本年度成人した11年度の入学生が中学の社会科の授業をきっかけに始めた。津波対策を話し合い、石碑の建立を進めてきた。
 後世の町民が津波で命を落とさぬよう、津波到達地点より高い場所に石碑を建立。費用は寄付金などで賄う。完成した石碑には、震災直後に生徒たちが詠んだ句が刻まれている。
 中学卒業後も有志が集まり、活動を続けた。プロジェクトの一環として作った震災の教訓集「女川いのちの教科書」は、この日の式典会場で配布された。
 教科書作りに携わった勝又愛梨さん(19)は「震災で一番つらい時期に支えてくれたメンバーと一緒に成人式を迎えられてうれしい。たくさんの大人に支えてもらったので、私もそんな大人になりたい」と話す。
 震災後、避難所で気丈に振る舞う看護師に憧れ、大崎市の看護学校に通う。「これからも自分のできることで貢献していきたい」と思いを語った。
 石碑はこれまでに17基が建立された。21基目は20年秋に完成する予定。

『毎日新聞』さん。 

「津波の碑に刻む、最後の句を君たちから」女川町、成人式で募る

018 宮城県女川町で、東日本大震災の津波の到達点に「いのちの石碑」を設置する活動を続ける町立女川中の卒業生が13日、同町の成人式に臨み、碑に刻む俳句を会場の同級生に向けて募った。句は、来夏に建立する最後の21基目の碑に刻む予定で、「1000年後の命を守るため、震災を経験し新成人となった今の思いを込めてほしい」と呼び掛けた。
  「いのちの石碑」の活動は、震災時小学6年で、2011年4月に女川一中(現女川中)に入学した生徒たちが、中1の社会の授業をきっかけに「古里のためにできることをしよう」とスタート。20歳になるまでに、町内21地区の津波最高到達点に石碑を建てることを目標とした。
 メンバー67人は自ら募金活動をするなどして約1000万円を集め、現在までに17基の設置が完了した。各碑には、地震発生時には碑より高台へ避難するよう呼び掛ける定型のメッセージと、メンバーが震災を通じて感じたことを表現した俳句を刻んできた。最後の21基目は、来夏に町中心部に完成予定の女川小中一貫校の新校舎の敷地内に設置されることが決まっている。
  メンバー以外から募集するのは初めてで、メンバーが詠んだものも含めて集まった句から選ぶ。この日の式では、出席した新成人一人一人に用紙が配られ、さっそく真剣な表情で句を書き込む新成人もいた。
  活動に取り組む看護学校生の勝又愛梨さん(19)は、「碑を見る人に『生きていることは幸せなんだ』と思ってもらえるような俳句を書きたい」と話す。震災で曽祖父母と2人のいとこが犠牲になったといい「震災で命の大切さを知った。看護師になり、誰かのために行動できる成人になりたい」と決意を新たにしていた。【本橋敦子、百武信幸】


かつて光太郎文学碑の建立に奔走し、あの津波に呑み込まれて亡くなった、女川光太郎の会事務局長であらせられた故・貝(佐々木)廣氏も、喜ばれていることでしょう。

新成人の皆さんの、輝かしい未来に幸多かれ、と存じます。


【折々のことば・光太郎】

青春の爆発といふものは見さかひの無いものだ。若さといふものの一致だけでどんな違つた人達をも融合せしめる。パンの会当時の思出はなつかしい。いつでも微笑を以て思ひ出す。本質のまるで別な人間達が集まつて、よくも語りよくも飲んだものだ。自己の青春で何もかも自分のものにしてしまつてゐたのだ。銘々が自己の内から迸る ( ) 強烈な光で互に照らし合つてゐたのだ。いつ思ひ出しても滑稽なほど無邪気な、燃えさかる性善物語ばかりだ。

散文「パンの会の頃」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

パンの会」は、木下杢太郎、北原白秋、吉井勇などが興した芸術至上主義運動の会。欧米留学から帰った光太郎もすぐに合流し、その若さを爆発させました。

しかし、同じ文章にはこんな一節もあります。

爆発は爆発だ。爆発してしまふと、あとはもつと真摯な問題が目をさます。人生のもつと奥の大事なものが幾層倍の強さで活動し始める。

新成人の皆さんも、爆発だけでなく、「いのちの石碑」に関わってこられた女川の若者たちのように、「真摯な問題」、「人生のもつと奥の大事なもの」に目を向けていっていただきたいものです。