昨日は、例年通りに、昭和9年(1934)、智恵子が療養していた九十九里浜片貝海岸に初日の出を見に行きました。
「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)を刻んだ光太郎詩碑の前に車を駐め、有料道路をくぐって海岸へ。
お供はこれも例年通りに愛犬。正確な誕生日が不明なため、1月1日を誕生日としており、昨日で15歳になりました。先月、少し体調を崩したのですが、恢復しましたので連れていきました。あと何回、こいつと初日の出が見られるか、と思っています。
残念ながら、片貝海岸では見えませんでした。しばらく待っていれば、雲の上、けっこう高い所に出るかと思いましたが、周辺の道路が混むもので、あきらめて撤収。途中、海岸沿いに10キロメートルほど北上したあたりで、雲の上に日が昇りました。再び車を駐めて、撮影。
愛犬の散歩で、毎日のように日の出は見ているのですが、やはり初日の出は格別ですね。今年一年も、光太郎顕彰の世界が盛り上がりますようにと、願をかけました。
ところで、初日の出といえば、昨年12月29日(土)の『日本経済新聞』さんに、「富士山2018 季節の移りかわりを写真で紹介」という記事が出ました。当方、電子版で読んだのですが、電子版だけでなく紙面にも載ったのか、山梨県の記事なので山梨版だったのか、そのあたりが不明ですが、ご紹介します。
昭和17年(1942)、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため訪れた山梨県南巨摩郡富士川町上高下(かみたかおり)地区が取り上げられています。
富士山2018 季節の移りかわりを写真で紹介
平成が終わるのを前に甲府支局長がこの1年間、仕事の合間などに山梨県から撮影した富士山を紹介します。あなたの見る初夢は何月の富士山でしょうか。(三浦秀行)1月、富士山から昇る初日の出。撮影した富士川町高下(たかおり)地区は、ダイヤモンド富士を観察するには絶好の地点。元旦は山頂から少しずれた地点からの日の出となる。冬至の前後は山頂から昇る太陽を撮影しようと多くのカメラマンで混み合う。高村光太郎の文学碑があり、町によると、この地を訪れた光太郎は「こんな立派な富士は初めて仰いだ」と感嘆したという。
このあと、12月まであるのですが、割愛します。
初日の出を穏やかな気持ちで見られる、そんな平和な日々が続くこの国であってほしいとも思いました。
【折々のことば・光太郎】
如何なる時代が来ようとも悪趣味のものは許され難い。必ず洗練せれなければ滅びるであらう。これは美の世界の自浄作用である。
散文「二科院展見物」より 大正13年(1924)、光太郎42歳
造形芸術の世界での話ですが、およそ芸術一般にあてはまることでしょう。政治経済の分野には当てはまっていない気がしますが。