この項最後、ここ3ヶ月のこの世界の動向です。

10月2日(火)~12月27日(木)
秋田市のあきた文学資料館さんで、特別展示「明治150年秋田を訪れた文人たち」が開催されました。11月4日(日)までの期間で、昨年、秋田県小坂町に寄贈された、オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)版元の龍星閣主・澤田伊四郎に宛てた光太郎書簡67通がすべて展示されました。

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10/4(木)~9(火)
福島県二本松市の智恵子の生家に於いて、太平洋美術会の坂本富江さんの個展「智恵子抄」に魅せられてそして~今~パートⅡ」が開催されました。

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10月5日(金)
当会から『光太郎資料』第50集を刊行いたしました。

10月5日(金)~11月6日(火)
鎌倉市の笛ギャラリーさんで、「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その七」が開催され、光太郎が尾崎喜八夫妻の結婚祝いに贈ったミケランジェロ模刻の「聖母子像」(大正13年=1924)など、光太郎、喜八関連の品々が展示されました。

10月6日(土)
地方紙『福島民友』さんで、二本松で智恵子顕彰に取り組む智恵子のまち夢くらぶさんによるイメージソングCD「好きです智恵子純愛通り」のリリースを報じました。東日本大震災で浪江町から横浜市に避難した歌手のハーミーさんによる歌唱です。

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10月6日(土)〜12月15日(土)
福島県伊達市の遊びと学びのミュージアムさんで、イラストレーターのノグチクミコさんによる絵本原画展「ほんとうの空の下で」が開催されました。絵本は、昨年刊行された、震災前は浪江町在住で、愛犬とともに自給自足の生活をし、平成28年(2016)に86歳で亡くなった川本年邦さんをモデルとしています。東京電力福島第1原発事故後も「電気紙芝居」と呼ばれる幻灯を避難先で上映し、子どもたちを喜ばせた方でした。

10月7日(日)
智恵子を偲ぶ「第24回レモン忌」が、福島県二本松市のラポートあだちさんで開催されました。

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10月8日(月)
福島県二本松市市民交流センターにぽいて、「高村智恵子没後80周年記念事業 智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」が開催されました。

10月10日(水)
東北大学出版会さんから、高橋秀太郎氏・森岡卓司氏編『一九四〇年代の〈東北〉表象 文学・文化運動・地方雑誌』が刊行されました。 光太郎に関して、東北大学文学研究科教授の佐藤伸宏氏による「5章 〈脱卻〉の帰趨ー高村光太郎に於ける引き延ばされた疎開」で、戦後の花巻郊外旧太田村に逼塞した時期が論じられています。

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10月11日(木)~11月27日(火)
福島県二本松市の智恵子の生家と、それに隣接する智恵子記念館さんで、現代アートの祭典「福島ビエンナーレ 重陽の芸術祭2018」の一環として、さまざまな企画が為されました。期間中、智恵子の紙絵の実物展示が行われ、土日と祝日には通常非公開の智恵子の居室を含む生家2階の特別公開、そして10月13日(土)~11月25日(日)で、切り絵作家の福井利佐さんの作品が展示されました。

10月15日(月)
詩人の入沢康夫氏が亡くなりました。宮沢賢治研究家でもあり、賢治と光太郎の関わりについての論考もおありでした。

10月20日(土)
長野県安曇野市の碌山美術館から『荻原守衛日記・論説集』が刊行されました。随所で光太郎にも触れられています。

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10月20日(土)~12月16日(日)
京都府城陽市の市立歴史民俗資料館さんで平成30年度秋季特別展「奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣-寺田出身の青年が作った大正サロン-」が開催されました。明治末、光太郎らが芸術至上主義運動「パンの会」を開催した鎧橋のカフェ「メイゾン鴻乃巣」に関するものでした。関連行事として、11月23日(金)に「第83回文化財講演会 祖父奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣」(講師 奥田恵二氏、奥田万里氏)が開催されました。

10月20日(土)~12月19日(水)
荒川区の吉村昭記念文学館さんで、おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展「津村節子展 生きること、書くこと」が開催されました。芥川賞作家・津村節子さんの代表作の一つ、智恵子を主人公とした『智恵子飛ぶ』(平成9年=1997)に関する資料も展示されました。関連行事として、11月23日(金)に、女優の竹下景子さんによる『智恵子飛ぶ』朗読会などが開催されました。

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10月21日(日)
大阪府豊中市の庄内公民館さんで、文学講座「近代詩歌の名作に親しむ秋」が開催され、川内通生さん(近代文学研究家)による光太郎講座が持たれました。
10月24日(水)
三重県亀山市のコミュニティーCafé ぶんぶんさんで、「10月レコード鑑賞会 秋を感じる名曲集」が開催され、今年6月に亡くなった俳優の加藤剛さん朗読の「智恵子抄」のレコードがかけられました。

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10月25日(木)~11月18日(日)
埼玉県東松山市の市立総合会館で 「高田博厚展2018」が開催されました。光太郎関連で、ブロンズ「大倉喜八郎の首」(大正15年=1926)、 光太郎令甥の故・高村規氏撮影の光太郎遺影、光太郎から高田宛の献呈署名入り『ロダン』(昭和2年=1927)が展示されました。関連行事として11月11日(日)に、「特別講演会 野見山暁治/堀江敏幸」が開催されました。

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10月26日(金)~31年1月23日(水)
福井市の福井県ふるさと文学館さんで、おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展「津村節子~これまでの歩み、そして明日への思い~」が開催されました。関連行事として10月26日(金)に津村節子氏撮り下ろしインタビュー特別上映会などが行われました。

10月27日(土)
埼玉県三郷市立北部図書館さんで「朗読・朗読講座(大人のためのお話し会)」が開催され、光太郎詩「道程」(大正3年=1914)が取り上げられました。

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10月27日(土)・28日(日)
長野市のホクト文化ホールさんで、「2018年度 第71回全日本合唱コンクール全国大会 中学校・高等学校部門」が開催されました。高校Bグループ(33人以上の大編成)に出場の九州地区代表・鹿児島高等学校音楽部さんが、光太郎作詞、西村朗氏作曲の「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」から、「レモン哀歌」を自由曲として演奏し、銅賞を受賞されました。今年から、全国各地でのパブリックビューイングも行われました。

10月28日(日)
青森県十和田湖畔の十和田湖観光交流センターぷらっとさんで、「高村光太郎コーナー リニューアルオープンセレモニー」が開催されました。青森市ご在住で、生前の光太郎をご存じの彫刻家、田村進氏制作の光太郎胸像と、「乙女の像」制作時に光太郎が使った彫刻用の回転台が十和田市に寄贈され、こちらで展示することとなったことにともなうものです。田村氏と、回転台の元の持ち主にして、光太郎の助手・小坂圭二の弟子筋に当たる彫刻家の北村洋文氏、そして当方によるトークイベントも行われました。

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10月30日(火)
中央区の銀座王子ホールで、平成30年度(第73回)文化庁芸術祭参加公演「佐栄秀リサイタル~詩人の魂を踊る~」が開催されました。故・初代米川敏子さんの箏曲「「智恵子抄」より 千鳥と遊ぶ智恵子」に合わせ、日本舞踊の花柳佐栄秀さん、笠井瑞丈さんが踊るというものでした。演奏は青山恵子(ソプラノ)、米川敏子、中田博之(箏)、岡崎敏優(十七絃)の皆さんでした。

10月31日(水)
NHK Eテレさんで、光太郎ブロンズ「手」(大正7年=1918)を取り上げた「びじゅチューン! 指揮者が手」が放映されました。11月5日(月)に再放送もありました。

同日、思潮社さんから、和合亮一氏著の詩集『QQQ』が刊行されました。表題作の「QQQ」が、光太郎詩「牛」(大正2年=1913)を下敷きにしたものです。

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11月2日(金)
国書刊行会さんから『中村傳三郎美術評論集成』が刊行されました。光太郎、光雲に触れられています。

11月2日(金)~12月2日(日)
京都市の知恩院さんで「秋の紅葉ライトアップ2018」が開催され、光雲作の聖観音像もライトアップされました。

11月3日(土)
福島県二本松市の智恵子の生家で、ゆるキャラ「ちえこちゃん」が初のお目見えを果たしました。

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11月3日(土)~25日(日)
千代田区の宮内庁三の丸尚蔵館さんで、第82回展覧会「明治美術の一断面-研ぎ澄まされた技と美」の前期展示が為され、光雲作の「矮鶏置物」(明治22年=1889)が展示されました。

11月4日(日)
 福島県二本松市の鐵扇屋さんで、シャンソン系歌手・モンデンモモさんのコンサート「新MOMO project 『モモの智恵子抄』」が開催されました。

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11月6日(火)
長野市の信濃善光寺さんで、「仁王門再建100年・仁王像造立100年 仁王門北側2像ライトアップ」が始まり、光雲と、その高弟・米原雲海による三面大黒天像、三宝荒神像のライトアップが為されました。

11月10日(土)
テレビ東京さんで、「土曜スペシャル いい旅・夢気分 紅葉めざして乗り継ぎ旅スペシャル」が放映されました。3本立ての1本目で、太川陽介さん、蛭子能収さんの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」コンビに、マドンナ釈由美子さんの3人で、奥入瀬渓流、十和田湖、弘前などを巡るコースで、十和田湖の乙女の像が取り上げられました。

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11月13日(火)
名古屋市東文化小劇場で開催された「第6回ソプラノ祥愛さちあリサイタル~香しき日本の歌~」では、野村朗氏作曲の「連作歌曲「智恵子抄」~その愛と死と~」が演奏されました。

11月14日(水)
智恵子の母校・日本女子大学さんの元学長・青木生子さんが亡くなりました。平成2年(1990)、講談社さん刊行の『近代詩を拓いた女性たち 日本女子大に学んだ人たち』というご著書があり、智恵子にも一章割かれています。

11月17日(土)
北海道帯広市のとかちプラザさんで、釧路高専公開講座「高村光太郎の文学」が開催されました。講師は同校教授・小田島本有氏でした。

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11月18日(日)
福島県二本松市の二本松コンサートホールさんで、「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」が開催されました。詩人の宮尾壽里子さんが大賞を受賞されました。

11月20日(火)
花巻市生涯学園都市会館(まなび学園)さんで、岩手大学教育学部出前講座「彫刻ってこう観るの!? 光太郎の作品から入る近代芸術の世界」が開催されました。講師は藁谷収氏(岩手大学教育学部教授)でした。

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11月23日(金)
文京区のアカデミー音羽さんで、「第63回高村光太郎研究会」が開催されました。ご発表は、「五篇の詩とその周辺」間島康子氏(文芸誌『群系』同人) 、「「夏の夜の食慾」解釈」田所弘基氏(佛教大学総合研究所特別研究員)でした。

11月23日(金・祝)~25日(日)
中野区の小劇場じゃがいも村さんで、「表現同人じゃがいも11月公演」が開催されました。水杜明寿香さんという方が、光太郎詩「火星がでてゐる」(大正15年=1926)を朗読なさいました。

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11月24日(土)
中央区の浜離宮朝日ホールさんで、「大島久美子 ソプラノリサイタル~日本の心と平和の祈りを歌う」が開催され、光太郎詩に曲をつけた鈴木憲夫氏作曲の独唱歌曲「レモン哀歌」が演奏されました。

11月25日(日)
豊島区のシネマハウス大塚さんで「j oプロジェクト《キョウユウ》第7回公演 朗読館「文豪散歩」名作シリーズ【コンパクト版】第1/10集」が開催され、「智恵子抄」の詩篇が取り上げられました。

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11月26日(月)~12月2日(日)
台東区の東京都美術館さんにおいて、「第40回東京書作展」が開催されました。第3位に当たる東京都知事賞を、中原麗祥さんという方が光太郎詩「冬」(昭和14年=1939)を書かれてご受賞。今夏に開催された「第38回日本教育書道藝術院同人書作展」で、「智恵子抄」などの光太郎詩6篇を書かれ、最優秀にあたる「会長賞」を受賞なさった菊地雪渓氏が、光太郎詩「東北の秋」(昭和25年=1950)で臨まれ、「特選」を受賞されました。

12月2日(日)
台東区の東京国立博物館平成館さんで、「西郷隆盛像建立120周年記念講演会『上野の西郷さん』を語る」が開催されました。基調講演は竹内誠氏(江戸東京博物館名誉館長)でした。

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12月3日(月)
小学館さんから大石直紀氏著『この道』が刊行されました。北原白秋を主人公とする来春公開の同名の映画のノベライズで、光太郎も登場します。

同日・作曲家の大中恩さんが亡くなりました。女声合唱曲「五月のうた」(昭和35年=1960)、男性合唱曲「わが大空」(昭和37年=1962)で、光太郎詩に曲をつけられました。

12月4日(火)
NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」で、「牛はのろのろと歩く…「牛」高村光太郎」の放映がありました。12月18日(火)に再放送も為されました。

12月8日(土)
北海道小樽市の似鳥芸術村内旧三井銀行小樽支店さんで、似鳥美術館研究会「日本における人体像の表現―高村光雲と光太郎」が開催されました。講師は岩崎直人氏(札幌芸術の森学芸企画担当係長)でした。

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12月8日(土)~2019年1月27日(日)
花巻市の高村光太郎記念館さんで、企画展「光太郎の食卓」。市内5つの文化施設との連携による「平成30年度花巻市共同企画展 ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~ 」の一環です。

12月15日(土) 
テレビ東京さんで「美の巨人たち 上野のシンボル!高村光雲『西郷隆盛像』が愛され続ける理由」の放映がありました。12月29日(土)にはBSテレ東さんで放映されています。

同日、文治堂書店さんから『トンボ』第七号が刊行されました。当会顧問・北川太一先生の玉稿、当方の拙稿等が掲載されています。

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12月16日(日)
福島二本松市の市民交流センターさんで、「高村智恵子没後80年記念事業 智恵子カフェ」が開催されました。

同日、花巻市の高村光太郎記念館さんで、「花巻高村光太郎記念館クリスマススペシャルコンサート」が開催されました。岩手大学管弦楽団の卒業生の皆さんによる光太郎ストリングスさん、花巻の金星少年少女オーケストラさんのメンバーによる演奏、地元の皆さんによる光太郎詩朗読等が行われたそうです。さらに同日、記念館近くにお住まいで、生前の光太郎をご存じの高橋愛子さんが亡くなりました。

12月22日(土)
長野市の信濃善光寺さんで、寺子屋文化講座第2幕『冬至に仁王さんのお顔を見てみよう』が開催されました。光雲と、その高弟・米原雲海作の仁王像に関しての内容でした。

12月22日(土)~24日(月・振休)
鹿児島市のギャラリー游さんで、演劇集団宇宙水槽 番外公演#1 『ちえこのかって』が開催されました。

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12月26日(水)
このブログで1年間の回顧を書いている間にも、いろいろありました。コールサック社さんから、野澤一詩集『木葉童子詩經』復刻版が刊行されています。光太郎を敬愛し、膨大な量の書簡をほぼ一方的に送り続けた詩人・野沢一の生前唯一の詩集で、元版は昭和9年(1934)、文治堂書店さんから2回覆刻されており、今度が3回目です。文治堂版には、光太郎が野澤について書いた随筆「某月某日」(昭和15年=1940)が併せて掲載されましたが、今回のものには入っていないようです。

12月27日(木)
長野市の信濃善光寺さんで、上にも書きました11月6日の三面大黒天像、三宝荒神像のライトアップにつづき、同じく光雲と、その高弟・米原雲海作の仁王像のライトアップが始まりました。

『信濃毎日新聞』さんの記事から。 

善光寺仁王像ライトアップ 来年は安置から100年

 長野市の善光寺は27日、仁王門に安置されて来年で100年の節目を迎える仁王像のライトアップを始めた。11月に同じ仁王門の反対側にある三宝荒神(さんぽうこうじん)像、三面大黒天像のライトアップを始めたところ参拝者や市民に好評で、仁王像についても同様の要望があった。辺りが暗くなると神々しい姿が浮かび上がった。
  仁王像は向かって左側が口を開いた阿形(あぎょう)、右側が口を閉じた吽形(うんぎょう)で、ともに高さ約4・5メートル。発光ダイオード(LED)の照明をそれぞれの像の上部に3基、下部に2基設け、毎日午前6時?午後8時に点灯する。これまでは日中でも、日差しの具合によっては2体の顔が陰になり見えにくいことがあったという。
  善光寺によると、2体は彫刻家高村光雲(1852~1934年)と弟子の米原雲海(18691925年)が中心となって1919(大正8)年に制作し、同年に仁王門に安置された。仁王門は前年の18年に再建されたことから、善光寺は来秋までの1年間を仁王門再建100年・仁王像造立100年の「記念イヤー」と位置付けている。
  毎日朝夕に犬の散歩で通り掛かるという市内の女性(60)は「これから毎夕楽しめそう」と話していた。
 (12月28日)

さらに、この項でその都度の紹介はしませんでしたが、『月刊絵手紙』さん、それから『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さんで、今年も1年間、それぞれ、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」、「光太郎レシピ」という連載を続けて下さいました。一昨日位に届きました『月刊絵手紙』さんの2019年1月号では、光太郎詩の代表作「道程」(大正3年=1914)を取り上げて下さっています。

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その他、当方の情報収集の網から漏れたイベント、刊行物等いろいろあるかと思われます。「こんなこともあったよ」という事項がございましたら、ご教示いただけると幸いです。さらに、「これからこういうこともあるよ」という件も。

それにしても、1年間で実にいろいろなことがありました。来年以降もそうであってほしいものです。何も紹介することのない1年間ということになりますと、光太郎智恵子光雲が忘れ去られてしまって、ということになるわけで、今後とも、そうならないよう、微力ながら当方も頑張ります。