暮れも押し詰まって参りまして、いよいよ来週火曜が2019年、平成最後の元日です。
元日といえば、初日の出。そこで、光太郎智恵子ゆかりの地での初日の出情報をまとめてみました。
まずは、大正元年(1912)、光太郎智恵子がお互いにこの人しかいないと確かめ合った、千葉銚子の犬吠埼。
【2019年】日本一早い初日の出インフォメーション
関東最東端の犬吠埼は、山頂・離島を除き日本で一番早く初日の出を見ることができます。元旦は、犬吠埼周辺の海岸で雄大な大海原と荒磯に砕ける波や白亜の灯台がおりなす美しい風景とともに、新年の誓いを立ててみてはいかがでしょうか。
JRさん、それから銚子電鉄さんが臨時列車を出すほか、現地ではさまざまなイベントも企画されています。
続いて、犬吠埼の少し南、昭和9年(1934)に、智恵子が療養生活を送った九十九里浜。当方、このところこちらで愛犬と共に初日の出を見ており、来年もその予定でいます。
あなたなら誰とくる?「九十九里町元旦祭」
① 会 場 : 片貝中央海岸② 住 所 : 千葉県山武郡九十九里町片貝6928
③ 開 催 日 : 平成31年1月1日(火)
④ 開催時間 : 午前5時30分~午前7時00分
午前5時30分:おもてなしブース開始
・いわしの団子汁(1000人分) ・いわしの丸干し(700人分)
午前6時10分~6時45分:郷土芸能披露 愛宕神社獅子舞保存会・九十九里黒潮太鼓
⑤ 駐車場 : 片貝海岸海浜公園町営駐車場(年末年始無料)
⑥ お問い合わせ : 九十九里町産業振興課商工観光係 0475-70-3177
九十九里町観光協会 0475-76-9449
次に、山梨県南巨摩郡富士川町上高下(かみたかおり)地区。昭和17年(1942)、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため、この地に住んでいた井上くまを訪問しました。それを記念して昭和62年(1987)に光太郎文学碑が建てられています。
元旦も含めた冬至の前後、 ここで富士山頂から日が昇る「ダイヤモンド富士」が見られます。日の出の時刻は7時20分くらいだそうです。
高下ダイヤモンドポイント
新富岳百景「日出づる里」増穂町穂積(高下・たかおり地区)は、「新富岳百景」に選ばれ、毎年冬至頃から元旦にかけて、富士山頂からの日の出「ダイヤモンド富士」が見え、多くの写真家が訪れます。
ダイヤモンドとは、日の出がダイヤモンドのような輝きになることから名付けられたものです。
ダイヤモンドとは、日の出がダイヤモンドのような輝きになることから名付けられたものです。
ちょうど1年前に、芳文社さんから刊行されたコミック『ゆるキャン△』第5巻。山梨県を舞台にしたキャンプ愛好女子たちを主人公とする漫画ですが、こちらが紹介されています。
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だいぶ経ってから気づいたので、このブログではご紹介しませんでした。今年、テレビアニメ化もされましたが、このエピソードの前くらいで終わっており、続編が期待されます。
最後に、智恵子の故郷・福島二本松に聳える安達太良山。こちらも近年、初日の出スポットとして売り出し中。
安達太良山 初日の出
<日の出目安 6:30> 日本百名山に数えられている標高1,700mの名峰。
詩人・彫刻家の高村光太郎が、「あれが阿多多羅山・・・」(樹下の二人)と詠んだことでも有名で、智恵子のふるさととしても知られている。
詩人・彫刻家の高村光太郎が、「あれが阿多多羅山・・・」(樹下の二人)と詠んだことでも有名で、智恵子のふるさととしても知られている。
開催日時 2019年01月01日(火) 会場 あだたら高原リゾート 二本松市奥岳温泉 駐車場あり
お問い合わせ先 二本松市観光連盟 TEL 0243-55-5122
なるほど、奥岳登山口のあたりは南東方向に盆地が広がっている地形ですので、初日の出を見るには良い条件ですね。智恵子の愛した「ほんとの空」に上る初日の出もおつなものでしょう。
また、二本松市街の霞ヶ城も同様に初日の出スポットとなっているようです。
ところで上記、<日の出目安 6:30>となっていますが、高山ということで、銚子犬吠埼(6:46)より早いのでしょうか。それとも間違いなのでしょうか。
気になるのは当日の天気。がっつり晴れることを祈念いたします。
【折々のことば・光太郎】
詩に燃えてゐる自分も短歌を書くと又子供のやうにうれしくなる。
散文「近状」より 大正13年(1924) 光太郎42歳
復刊なった与謝野夫妻の第二期『明星』に短歌五十首を寄せた、その序文的な文章の一節です。
この時期、彫刻では西洋風の塑像彫をメインにしていたのを、ふと思い立って子供の頃から慣れ親しんだ木彫も手がけるようになり、それが世間で評判となりました。同様に、文学では自由詩を主戦場としていたこの時期、少年時代に与謝野夫妻に見出された短歌をまた詠むようになりました。それぞれが自身の心の平安にもつながったというあたり、興味深く感じられます。