一昨日、昨日と光太郎の父・高村光雲が主任として制作に当たった上野の西郷隆盛像について書きましたが、西郷像と同様に、光雲の手になる大作、信州善光寺さんの仁王像に関して、イベント情報です。 

善光寺寺子屋文化講座第2幕『冬至に仁王さんのお顔を見てみよう』

期   日 : 2018年12月22日(土)
会   場 : 信州善光寺 長野県長野市大字長野元善町491
時   間 : 朝 午前6時50分受付   夕 午後3時受付
料   金 : 無料

善光寺の仁王像の配置は、一般的な配置と逆になっています。なぜなのでしょうか?
太陽が一番低くなる冬至の日に、物事の始まりを表す阿形像に朝日が、終わりを意味する吽形像に夕日が当たるように仁王像を配置したといわれております。この現象を見るため、『冬至に仁王さんのお顔を見てみよう』を行います。
※天候次第で、やむを得ず中止の場合がございます。

講師: 相原文哉先生(第24回善光寺寺子屋文化講座・講師)
定員: 朝・夕 各30名
 
お申込み方法
12月1日(土)より、電話にて下記までお申込み願います。先着各30名様まで。
善光寺事務局(026-234-3591)


大正8年(1919)に開眼供養が行われた、善光寺さんの仁王像。光雲とその高弟・米原雲海の作です。100周年の記念イベントの一環で、同様に、仁王門の裏側に安置されたやはり、光雲・雲海作の「三宝荒神像」と「三面大黒天像」のライトアップも先月から行われています。

善光寺の仁王像の配置は、一般的な配置と逆になっています」とありますが、通常は向かって右が口を開いた「阿形(あぎょう)」、左に口を閉じた「吽形(うんぎょう)」という配置が一般的だそうです。

確かに、光雲作でもそうなっている仁王像が残っています。

イメージ 1

下は善光寺さんの仁王像の約3分の1大の試作ですが、確かに逆になっています。

イメージ 2

光雲・雲海は、奈良東大寺さんの金剛力士像を参照したらしく、そちらは善光寺さん同様に「左・阿、右・吽」です。そこで、古い時代はそうだったのかと思いきや、同じ奈良の法隆寺さんでは、通常とされる「右・阿、左・吽」
となっています。厳格なルールはなかったということなのでしょうか。

冬至の日光云々は後付の解釈のような気がしますが、それでも冬至の頃に朝日が阿形に、夕陽が吽形に当たるというのは、確かに神秘的ですね。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

中にも、余の心を顫慄せしめたのは、あの名高いジヨツトの壁画、基督の一代記であつた。小さな物置小屋の様な「マドンナ デ ラレナ」の寺の扉を押して、その薄暗い室へ足を踏み入れた時のセンセエシヨンは、殆と大きな危険に臨んだ時の様なものであつた。

散文「伊太利亜遍歴」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

遡ること3年前の、欧米留学末期、スイス経由でイタリアを約1ヶ月間旅した回想の一節です。

場所はパドヴァ。イタリア北部、ベネツィア郊外の町で、コペルニクスやガリレオ・ガリレイ、ダンテなどとのゆかりがあります。「ジヨツトの壁画」は、スクロヴェーニ礼拝堂に残るフレスコ画。ルネサンス期のジョット・ディ・ボンドーネの手になるものです。「マドンナ デ ラレナ」は、スクロヴェーニ礼拝堂の別名「アレーナ礼拝堂」ということでしょう。キリスト教系の施設に「」の訳を当てるケースは当時、一般的でした。

善光寺さんもそうですが、やはり宗教的な施設で古い芸術作品に触れる際、敬虔な気持ちにさせられるものですね。