智恵子の故郷、福島でのイベントです。状況をわかりやすくするため、『毎日新聞』さんの福島版の記事から。 

<絵本原画展>幻灯上映、生きざま描き 浪江の男性主人公、愛犬と自給自足 イラストレーターが伊達で /福島

 郡山市のイラストレーター、ノグチクミコさん(55)が昨年10月に自費出版した絵本「ほんとうの空の下で」の原画展が、伊達市霊山町で開かれている。絵本の主人公は、浪江町で愛犬とともに自給自足の生活をし、2016年に86歳で亡くなった川本年邦さん。東京電力福島第1原発事故後も「電気紙芝居」と呼ばれる幻灯を避難先で上映し、子どもたちを喜ばせた。「人のために尽くし続けた川本さんの生きざまを感じてほしい」とノグチさんは話す。【寺町六花】
 東京から浪江町南津島の山里に移り住んだ川本さんは、まき割りや畑仕事をしながら、愛犬「シマ」と暮らしていた。生きがいは子どもたちのために幻灯を上映すること。だが原発事故後、川本さんの地区は帰還困難区域になり、避難生活を余儀なくされた。絵本に言葉は登場しない。2色の鉛筆による柔らかなタッチで、幻灯を1コマずつ映し出すように、川本さんとシマの生活を静かに描いていく。
 ノグチさんが川本さんを知ったのは、12年2月にテレビで放送されたドキュメンタリー番組だった。戦後まもなく、東京で子どもたちのために幻灯会を始め、原発事故後も上映を続ける姿に心を打たれた。「川本さんのことを絵本に描きたい」。芸術大学でデザインを学んだノグチさんは、録画した番組を100回以上見直しながら、毎日4〜5時間、スケッチを描き始めた。
 だが川本さんが住んでいると聞いた二本松市の仮設住宅に手紙を送っても、返事はなかった。浪江町の知り合いを通じて会おうとしたが、川本さんは仮設住宅の生活のストレスや、進行する難聴によって心を閉ざし、会うことはできなかった。「完成できない作品なのか」。絵本への気持ちはしぼみかけた。
 それでも、2年あまりが過ぎたとき、描きたい思いがふつふつと湧いた。浪江町の役場に問い合わせると、川本さんが郡山市の介護付き老人ホームに住んでいることがわかった。「どうしても描きたいんです」。手紙と一緒に描きためたスケッチを送ると、返事が来た。避難先を転々としたつらい記憶が、便箋8枚につづられていた。
 16年2月、ようやく対面した川本さんは肺気腫を患い、番組の放送時よりもやせ衰えていた。「番組で放送された後のことも描いてほしい」。川本さんは老人ホームに入居するためにシマと離れ離れになり、シマは里親のもとで15年10月に死んでいた。川本さんの暮らした仮設住宅や、シマの墓の写真などを集め、想像しながら筆を走らせた。「何かに描かされているようだった」。だが絵本が完成する前の16年4月、川本さんは旅立った。
 最後まで悩んだ絵本の題名は、高村光太郎の詩集「智恵子抄」から考えた。「東京には空が無い」と古里・福島の空を恋しがる妻智恵子のことをうたった一編の詩「川本さんにとっての本当の空は、『桃源郷』と言っていた、浪江の空なのかな」。老人ホームの部屋の窓からは、ほんの少ししか見えなかった空。「最後はシマと一緒に、浪江の広い空に戻ってほしかった」。物語の最後、川本さんがシマとともに、綿毛のように空に上っていく姿を描いた。
 原画展は「霊山こどもの村・遊びと学びのミュージアム」で15日まで。川本さんの幻灯会の様子をノグチさんが撮影した映像も上映されている。午前9時〜午後4時。水曜休館。高校生以上400円、3歳〜中学生は200円。絵本は1800円。同ミュージアムと郡山市のブックカフェ「Go Go Round This World!」の他、ノグチさん(電子メールusagiya@h7.dion.ne.jp)からも直接購入できる。


というわけで、絵本『ほんとうの空の下で』原画展です。10月から始まっていました。 

ノグチクミコ絵本原画展「ほんとうの空の下で」

期    日 : 2018年10月6日(土)〜12月15日(土)
会    場 : 遊びと学びのミュージアム 福島県伊達市霊山町石田字宝司沢9-1
時    間 : 9:00 ~ 16:00
料    金 : 無料

「ほんとうの空の下で」は、震災後に絵本作家のノグチクミコさんが、あるドキュメント番組を見て、おじいさんの生きざまに胸を打たれ、「一人でも多くの人に、おじいさんのその姿を伝えたい」と描いてうまれた絵本です。幻灯のように、1コマ1コマおじいさんと愛犬シマの日々が丁寧に描かれています。絵本と合わせて原画作品との時間をごうぞゆっくりお楽しみください。

イメージ 1


3月には埼玉浦和でも開催されていたとのこと。絵本についてはこちら


イメージ 2

ほっこりする絵柄ですね。しかし、涙無しでは読めなさそうです……。


ところで『智恵子抄』所収の光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)では、「う」が入らない「ほんとの空」で、こちらは「う」が入って「ほんとうの空」。「ほんとの空」の語では毎日キーワード検索をかけているのですが、「う」入りの方は調べておりませんで、気づくのが遅れました。意外と「ほんとうの空」として使われているケースも確かに多いので、今後、気をつけます。

お近くの方、ぜひどうぞ。


ところで、「ほんとの空」の広がる安達太良山関連、今日の『朝日新聞』さんの土曜版に、登山家の故・田部井淳子さんがらみで大きく取り上げられています。光太郎智恵子には触れられていませんが。

イメージ 3

購読されていない方、コンビニ等で購入可能ですし、公共図書館等で閲覧という手もありますのでよろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

亜米利加美術も今日は稍動揺の形ありて、新しき画家、彫刻家の懸命の努力は、中々めざましき事に御座候。しかし今日の小生の頭脳に烈しき影響を与へたるは、埃及彫刻に越すもの無之候。芸術の命は誠実にありと、当然の事を今更に教へられ候。

散文「紐育より 三」より 明治39年(1906) 光太郎24歳

20世紀初頭といえば、ポップなアメリカンアートのはしりがもう出ていた時代ですが、光太郎、そういったものよりも、ボストン美術館等で見たエジプト彫刻に心牽かれています。プリミティブなものに対する憧憬はこの頃からあったわけで、この後、ニューヨークで知り合う荻原守衛と、その点では意見が一致します。