光太郎と交流があった北原白秋を主人公とする来春公開の映画「この道」のノベライズです。光太郎も登場します。ちょい役ですが(笑)。
この道
2018/12/03 大石直紀著 小学館 定価1700円+税童謡誕生100年に制作された映画『この道』の脚本から生まれたオリジナル小説。稀代の詩人・北原白秋と天才音楽家・山田耕筰の交流を通して人間味溢れる表現者たちの人生を描く。さらに映画の原点となった長編小説『ここ過ぎて 白秋と三人の妻』の著者である瀬戸内寂聴と北原白秋を演じた大森南朋、山田耕筰を演じたAKIRA、瀬戸内寂聴の秘書・瀬尾まなほによる『この道』スペシャル座談会、瀬戸内寂聴と主題歌を歌うEXILE ATSUSHIとAKIRAのスペシャル鼎談も収録。EXILE ATSUSHIが歌う主題歌「この道」CD付き。
目次
プロローグ
第一章 三人の妻
俊子(としこ) / 章子(あやこ) / 菊子(きくこ)
第二章 童謡の創作
山田耕筰との出会い / 軍靴(ぐんか)の足音
エピローグ
「この道」スペシャル座談会
瀬戸内寂聴 大森南朋 AKIRA 瀬尾まなほ
瀬戸内寂聴 大森南朋 AKIRA 瀬尾まなほ
「この道」スペシャル鼎談
瀬戸内寂聴 ATSUSHI AKIRA
瀬戸内寂聴 ATSUSHI AKIRA
映画は未公開ですが、おそらくほぼ小説版の内容どおりだろうと思われます。この際ですから映画版もご紹介します。
この道
公 開 : 2019年1月11日(金) 全国ロードショー上 映 : TOHOシネマズ日比谷ほか
出 演 : 大森南朋(北原白秋) EXILE AKIRA(山田耕筰) 貫地谷しほり(北原菊子)
松本若菜(北原俊子) 柳沢慎吾(鈴木三重吉) 羽田美智子(与謝野晶子)
松重豊(与謝野寛) ほか
監 督 : 佐々部清
脚 本 : 坂口理子
音 楽 : 和田薫
配 給 : HIGH BROW CINEMA
音 楽 : 和田薫
配 給 : HIGH BROW CINEMA
自由奔放な天才詩人・北原白秋と、西洋音楽を日本に導入した秀才音楽家・山田耕筰。この二人の友情から日本の「歌」が生まれた。もし彼らが居なかったら、日本の音楽シーンは全く違っていたかもしれない。童謡誕生100年の今年、白秋の波乱に満ちた半生を、耕筰との友情とともに、笑いと涙で描き出す映画『この道』。今、日本歌謡誕生の瞬間に立ち会うことができる。
日本の子供たちの心を表す新しい童話や童謡を作りだそうと、文学者・鈴木三重吉は「赤い鳥」を1918年に創刊した。童謡もこの児童文芸誌の誕生とともに生まれたことになる。白秋と耕筰もここを舞台に名曲「からたちの花」や「この道」などを発表した。それまで、日本の子どもたちの歌は、各地に伝承されてきた「わらべ歌」か、ドイツから入ったメロディーに日本語の歌詞を乗せた「ドイツ童謡」しかなかった。日本人による日本人のための新しい歌が、白秋・耕筰コンビらによって生まれたのだ。
日本の子供たちの心を表す新しい童話や童謡を作りだそうと、文学者・鈴木三重吉は「赤い鳥」を1918年に創刊した。童謡もこの児童文芸誌の誕生とともに生まれたことになる。白秋と耕筰もここを舞台に名曲「からたちの花」や「この道」などを発表した。それまで、日本の子どもたちの歌は、各地に伝承されてきた「わらべ歌」か、ドイツから入ったメロディーに日本語の歌詞を乗せた「ドイツ童謡」しかなかった。日本人による日本人のための新しい歌が、白秋・耕筰コンビらによって生まれたのだ。
監督が佐々部清氏と知り、驚きました。平成28年(2016)、光太郎の『智恵子抄』もモチーフとして使われた「八重子のハミング」監督だったからです。ちなみに「八重子のハミング」で主演されていた升毅さんも、軍人の役でご出演されます。
先述の通り、光太郎はちょい役ですが、明治44年(1911)に開催された白秋詩集『思ひ出』出版記念会のシーンで登場します。そちら、史実では神田の都亭というレストランだったのですが、小説、映画では箱根の富士屋ホテルとなっていました。演じる役者さんは伊㟢充則さんという方だそうです。
与謝野夫妻が重要な登場人物で、寛を松重豊さん、晶子を羽田美智子さんが演じられます。羽田さん、平成27年(2015)、NHKさんの「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」に出演され、その際には、いずれぜひ智恵子の役を演じてみたいとおっしゃっていましたが、姉貴分の晶子役です。美人すぎる晶子のような気がしますが(笑)。
それから、童謡歌手という設定で、安田祥子さん、由紀さおりさん姉妹もご出演。なかなか豪華なキャストです。
小説版では終盤、戦争の激化と共に、白秋、晶子、そして山田耕筰が翼賛詩歌を作らざるを得なくなるという話になります。この辺り、光太郎の歩みと関連し、興味深く拝読しました。それぞれの人物が戦争協力に際し、仕方がなかったのだ、という描き方でした。
その点、光太郎は、荒廃した人心を救いたいという意図はあったものの、智恵子を亡くした心の空白を埋めるかのような積極的な戦争協力で、戦後は多くの若者を鼓舞して戦地に送ったことを恥じ、「自己流謫」――自分で自分を流罪に処する――に入ります。
そういえば明後日、12月8日(土)は太平洋戦争開戦の日ですね。毎年の事ですが、自称「愛国者」「憂国の士」が、ネット上で光太郎自身が戦後に全否定した翼賛詩を紹介してありがたがる憂鬱な日です。
小説版の特別付録、「スペシャル座談会」で、瀬戸内寂聴さんが発言なさっています。
それ(白秋や山田耕筰のような人であっても戦争に翻弄されてしまう)が戦争なの。それがあの時代なの。戦争はすべてのものを奪っていくのです。今、日本はいつまた戦争になるかわからない状態です。映画でも戦争前夜を描いていますが、それと似た嫌な空気になっている。戦争は絶対あっちゃいけません。私は明日死ぬ命ですが、若い人たちには未来がある。それなのに戦争になったら、真っ先に戦場に連れて行かれるのは若い人たちなのです。映画を作った人が、そこまで考えていたかわかりませんが、これは「反戦」の映画でもあるのです。だから、若い人にこそ観てほしい。
その通りですね。
明日も「この道」関連で。
【折々のことば・光太郎】
日本を出でしは二月の霙ふる頃なりしを、今は早や青葉に樹々は埋もれ候。此間に為したる事、感じたる事、考へたる事、小生にとりてはまことに尠からず、此頃やうやく静かに眼をあげて世の有様を見るを得る様になり申し候。殆ど此れ迄に経験なき感情の中に幾月かを費やし候。
散文「紐育より 一」より 明治39年(1906) 光太郎24歳
与謝野夫妻の『明星』に掲載された、おそらく寛宛の書簡そのままの一節です。初めて海外に出、見るもの聞くものすべて新しい経験に、戸惑いつつも希望に胸ふくらませる若き光太郎の姿が見て取れます。