11月24日(土)、日比谷で開催される「第12回明星研究会 シンポジウム与謝野晶子の天皇観~明治・大正・昭和を貫いたもの」に行く前に、皇居東御苑内の三の丸尚蔵館さんに寄りました。現在、第82回展覧会 「明治美術の一断面-研ぎ澄まされた技と美」が開催中です。
お目当ては、光太郎の父・光雲作の「矮鶏置物」。今回の目玉の一つと位置づけられているようで、入口に大きな写真。これ、欲しいなと思いました(笑)。
展示室に入ってすぐ左手、壁際のそれではなく、独立した展示ケースに収められており、360度全方向から観られるようにしてありました。こちらで光雲作品を出す際にはほぼいつもそうして下さっていて、ありがたいかぎりです。
明治22年(1889)の作です。像高は雄の方が32㌢、雌の方は21㌢、ほぼ実物大でしょう。共に桜材で、眼のみ他材を象嵌ではめ込み、瞳の部分には黒檀が使用されているらしいとのこと。当初、雄のみを制作し、日本美術協会展に出品、明治天皇の眼に留まってお買い上げとなり、その後に雌が制作されました。
記憶にある限り、これを観るのは4回目ですが、何度観てもいいものです。後に大家となってから、同一図題を繰り返し造るようになったり、工房作的に弟子が大まかに作ったものの仕上げを行って「光雲作」のクレジットを入れたりしたものとは異なり、まだ青年期の余韻の残る数え38歳、攻めの姿勢が色濃く見えます。
特に先に造られた雄の方。鶏冠(とさか)の質感、羽毛一枚一枚の硬さと柔らかさ(その矛盾)までもが見事に表現されています。そして、驚くことに、これが片足で立っているという絶妙なバランス。
同展は12月24日(月)までですが、残念ながらこの作は前期のみの展示ということで、既に撤収されています。ただ、図録(1,900円也)は後期にも継続して販売されています。
その他、並河靖之の七宝花瓶、柴田是真の蒔絵、旭玉山の牙彫、宮川香山の磁器など、逸品ぞろいでした。そんな中で、興味を引いたのが、後藤貞行の馬の彩色木彫。
派手さはなく、どちらかというと地味な作品なのですが、その写実性という点に興味を引かれました。元々陸軍騎兵所に勤務していた後藤は馬の生態にも詳しく、自身の作として馬を作る際には写実に徹し、デフォルメは行わなかったそうです。
後藤は彫刻家に転じて光雲の手ほどきを受け、そして東京美術学校に奉職。すると、美術学校に住友財閥から別子銅山開坑200年記念事業として献納する楠木正成像制作の依頼が来ます。光雲が主任となり全体を統括するとともに人物部分を手がけ、馬の部分は主に後藤が担当しました。
当方、この後、日比谷に行く都合がありましたので、楠木正成像にも立ち寄りました。
この馬は、左の前脚を大きく挙げ、曲げています。ところが、馬の専門家だった後藤曰く、馬の脚がこのような形になる事はありえないそうで、しかし、こういう形にしなければ像としての構図がさまにならないとする光雲と激しくやりあったとのこと。結局は後藤が折れたようです。
光雲や後藤がこれだけ苦労して作り上げたものですが、ロダン流の最先端の彫刻を西洋で実際に見てきた光太郎、この像は五月人形のようにしか見えないと、高い評価は与えていません。
これはこれでいいものだと思うのですが……芸術というものは難しいものだと実感させられます。
後藤は、やはり東京美術学校として依頼を受けた西郷隆盛像では、西郷の愛犬・ツンの部分を担当したそうです。ちなみに西郷像といえば、テレビ東京さん系の「美の巨人たち」の12月15日(土)放送分で取り上げられます。また近くなりましたら詳細をご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
精神の突面だけがラインに刻まれてゐて、およそ平面をゆるさない。これらの詩の内面ふかく立ち入ることの出来るのは、同じやうな魂のきびしさと信とに死をのりこえたもののみの事である。私はおそろしい詩集を見た。
散文「森英介詩集「火の聖女」序」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳
森英介(本名・佐藤重男)は、山形米沢出身の詩人。掛け値無しに光太郎はその特異な詩業に感服したようで、森宛の書簡にも「あの詩稿からうけた感動は比類なく強いものです」としたため、この詩集が刊行される直前に急逝した森を惜しみ、その墓碑銘(米沢市相生町の善立寺)の揮毫も引き受けています。