先週17日の新聞に、智恵子の母校・日本女子大学さんの元学長・青木生子さんの訃報が出ました。

朝、購読している『朝日新聞』さんの社会面で見つけました。 

青木生子さん死去001

 青木生子さん(あおき・たかこ=元日本女子大学長・理事長、日本上代文学)14日死去、97歳。葬儀は近親者で営む。12月26日に東京都文京区目白台2の8の1の同大目白キャンパスで大学葬を行う予定。


『毎日新聞』さんの方が、よりくわしく業績等記述されているので、そちらも。 

<訃報>青木生子さん97歳=日本女子大元学長・国文学者

 青木生子さん97歳(あおき・たかこ=日本女子大元学長・国文学者)14日、死去。葬儀は近親者で営み、12月26日に東京都文京区目白台2の8の1の日本女子大・成瀬記念講堂で大学葬を開く。時間などは未定。
 東北大など卒。万葉集の研究で知られ、女子教育論も手掛けた。著書に「日本古代文芸における恋愛」「万葉挽歌論」など。93年に勲三等宝冠章。

002

青木さん、ご専門の上代文学以外でも、日本女子大さんに関する御著書が複数あり、当方、一冊持っています。平成2年(1990)、講談社さん刊行の『近代詩を拓いた女性たち 日本女子大に学んだ人たち』。同大の教養部での特別講義の筆録をもとにしたもので、智恵子にも一章割かれています。

基本的な論調は「伝説化された智恵子ではなく、できるだけ生身の人間としての智恵子を、女性として身近に引き寄せながら、彼女の生き方にまなざしを注いでみたいと思います」ということで、同大の同窓会誌である『家庭週報』などの記事を引用するなど、刊行当時としては、智恵子に関するあまり知られていなかった資料が提示されていました。

智恵子以外には、山川登美子、上代たの、平塚らいてう、丹下うめ、大村嘉代子、宮沢トシ(賢治の妹)、網野菊、原口鶴子、高良とみ、茅野雅子が取り上げられています。

残念ながら絶版となっていますが、古書サイト等で入手可能です。


ところで、同じ日の『朝日新聞』さんに、以下の記事も載りました。 

さくらさんへ、明るく別れの歌 ありがとうの会003

 8月に53歳で亡くなった漫画家さくらももこさんをしのぶ「さくらももこさん ありがとうの会」が16日、東京都港区の青山葬儀所で開かれ、約1千人が参列した。笑いを届け続けたさくらさんの意向で、会は「明るくなごやか」がテーマに。参列者はさくらさんの名前にちなんで桜色の小物を身に着けた。
 アニメ「ちびまる子ちゃん」で主人公まる子を演じる声優のTARAKOさんは、まる子の声で「天国へ行くあたしへ。そっちでもたまに、まる子描いてよね」と語りかけた。さくらさんから手紙で歌詞が届き、作曲を依頼された際のエピソードを披露したのは歌手の桑田佳祐さん。「またいつかお会いしましょう」と述べ、2人で共作したアニメのエンディングテーマ曲「100万年の幸せ ‼」を歌った。


亡くなった際には失念していましたが、さくらさん、明治大学教授の斎藤孝氏とのコラボで、平成15年(2003)、集英社さんから『ちびまる子ちゃんの音読暗誦教室』という書籍を刊行されています(著者名は斎藤氏のみのクレジット)。こちらも残念ながら絶版です。

基本、児童書ですが、古今東西の「名文」50余篇を紹介し、斎藤氏の解説に、まる子を主人公とした四コマ漫画が添えられています。で、光太郎詩「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)が取り上げられています。004

   あなたはだんだんきれいになる

 をんなが附属品をだんだん棄てると
 どうしてこんなにきれいになるのか。
 年で洗はれたあなたのからだは
 無辺際を飛ぶ天の金属。

 見えも外聞もてんで歯のたたない
 中身ばかりの清冽な生きものが

 生きて動いてさつさつと意慾する。
 をんながをんな
を取りもどすのは
 かうした世紀の修業によるのか。
 あなたが黙つて立つてゐると

 まことに神の造りしものだ。
 時時内心おどろくほど
 あなたはだんだんきれいになる。



005

この書籍、手許にありながらその存在を忘れており、さくらさんが亡くなってしばらくしてから思い出し、このブログでご紹介するタイミングを失って、「しまった」と思っていたところでした。

それが、青木さんの訃報と同じ日にさくらさんのお別れ会の記事が出、「このタイミングで紹介するしかない」と思い、本日、記述いたしました。何か不思議な縁を感じます。ともあれ、お二人のご冥福をお祈り申し上げます。



【折々のことば・光太郎】

感じてゐながら言葉でそれを捉へる事のむつかしさを詩を書くほどのものは皆知つてゐる。よほど素直な心と、美を見る感覚との優れてゐるものでなければ此の境にまでは到り得ない。

散文「八木重吉詩集序」より 昭和18年(1953) 光太郎61歳

昭和2年(1927)に数え30歳で早世した八木重吉は、それが出来ていた稀有な詩人の一人、というわけでしょう。光太郎ファンの当方にとっては、光太郎、あなたもですよ、と言いたくなりますが(笑)。

この前年、草野心平らの尽力で、山雅房から『八木重吉詩集』が刊行されましたが、さらに八木の未亡人・とみ子の編集による決定版詩集の刊行が企図されました。光太郎はそれに向けて上記の一節を含む序文を執筆、さらに題字候補ということで3種類の揮毫をとみ子に送りました。

イメージ 6

八木の詩の題名から採った「麗日」二種、やはり八木の詩「うたを味わう」中の短章の題名から採った「花がふつてくるとおもふ」。それぞれ味のある筆跡ですね。

結局、戦局の悪化等もあり、この時点では決定版的八木詩集は刊行できず、序文、題字揮毫ともお蔵入りとなりました。