10月27日(土)、福島二本松の智恵子生家・智恵子記念館を後に、再び北へ。「〽北へ行くのね ここも北なのに」の「潮騒のメモリー」状態だなと思いつつ(笑)。

東北本線安達駅から福島駅、新幹線を仙台でやまびこからはやぶさに乗り換え、七戸十和田へ。レンタカーを借りて十和田市街方面。ポニー温泉さんというところに1泊しました。

翌10月28日(日)、宿で朝食を摂った後、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖方面を目指し、出発。この日は「奥入瀬渓流エコロードフェスタ」ということで、国道102号線、奥入瀬渓流沿いの部分にマイカー規制がかかっており、麓の焼山からシャトルバスに乗ることにしました。バイパスを使って遠回りすれば十和田湖まで行けたのですが、そちらが混むと面倒ですし、渓流の紅葉も見たかったので。

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焼山の駐車場。すでに山々は色づいていました。

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バスの車中から。

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あいにくの雨でしたが、かなりの人出でした。

十和田湖畔休屋地区に到着。こちらもすっかり紅葉が進んでいました。

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遊覧船の船着き場に近い、市の施設・十和田湖観光交流センター「ぷらっと」。

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こちらの2階、光太郎に関する展示のコーナーがリニューアルということで、式典が行われます。

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左が、青森市ご在住で、生前の光太郎をご存じの彫刻家、田村進氏制作の光太郎胸像。右には、「乙女の像」制作時に光太郎が使った彫刻用の回転台。ともに十和田市に寄贈され、こちらで展示することとなったものです。

田村氏制作の胸像は、名付けて「冷暖自知 光太郎山居」。

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昭和20年(1945)秋から、戦時中の翼賛活動を恥じ、花巻郊外旧太田村の山小屋に逼塞していた当時の光太郎の肖像です。題字の揮毫は当会顧問・北川太一先生。

下世話な話ですが、制作にかかる実費だけでもかなりのものでしょうが、田村氏、ポンと寄贈なさいました。なかなかできることではありません。

僭越ながら、当方が解説板を執筆させていただきました。

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光太郎遺品の回転台はこちら。

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「乙女の像」制作に際し、光太郎の助手を務めた青森野辺地出身の彫刻家・小坂圭二が手配して入手し、光太郎歿後は小坂がもらいうけ、さらに小坂歿後に小坂の弟子筋だった彫刻家の北村洋文氏の手に渡ったものです。

昨夏、千葉船橋にある北村氏のアトリエにお邪魔し、現物を初めて見、「よくぞこれが遺っていた」と感懐に包まれました。その際の経緯などはこちら


目玉はこの2点ですが、それ以外にもいろいろ。

窓には日除けを兼ねたタペストリー。古写真を使い、「乙女の像」完成までの経過を時系列で追うというコンセプトにもなっています。光太郎と一緒に写っているのが小坂圭二です。

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写真の選定にも当方に相談があり、さらに、写真であることにこだわらなければ、こんなのもいいんじゃないでしょうか、と、推薦したのが最後のカット。平成27年(2015)、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんの編集で刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』の挿画の一枚で、十和田市ご在住のイラストレーター・安斉将さんの作品です。

十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんといえば、最後の「乙女の像」設置風景の写真は、同会の地道な調査で発見されたもの。こういう写真が残っていたというのも感慨深いものがあります。


さらに、一時的な展示となるそうですが、「乙女の像」の小型試作。

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また、1階には、回転台を寄贈なさった北村氏の彫刻も。

平成26年(2014)の「ぷらっと」オープンの際から、内部の解説板執筆等でご協力させていただいていますが、こうしてグレードアップしていくのが非常に嬉しい限りです。

さて、午前10時から、式典。その直前には、湖面にうっすらと虹が架かっていました。リニューアルを祝ってくれるかのようでした。

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小山田十和田市長のご挨拶。

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田村氏と北村氏に、感謝状の贈呈。

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その後、田村氏、北村氏、そして当方でトークセッション。

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当方からは、「乙女の像」のアウトライン、田村氏と北村氏には、それぞれの寄贈品についてなどを語っていただきました。さらに田村氏には光太郎、北村氏には小坂圭二、それぞれの生前の思い出等、それから、彫刻家の眼で観た「乙女の像」といったお話も。

昨年、十和田市街で開催された講演会、「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」に当方を講師としてお招き下さった十和田市立三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会さん代表の佐藤やえさん、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の吉崎明子さんなど、見知った顔も駆けつけて下さいました。

最後に、若手ガイドの地域おこし協力隊・山下晃平氏の案内により、「乙女の像」までのミニツアー。

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湖畔の木々もすっかり色づき、多くの観光客の皆さんでにぎわっていました。

半年ぶりに「乙女の像」と対面。

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光太郎が詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)で謳ったように、「いさぎよい非情の金属が青くさびて 地上に割れてくづれるまで この原始林の圧力に堪へて 立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。」と、見るたびに思います。

その後は再びシャトルバスで麓まで戻り、レンタカーを七戸十和田駅前で返却して、帰途に就きました。七戸十和田駅ではまた虹が出ていました。

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十和田湖、奥入瀬の紅葉、まだ楽しめます。「ぷらっと」、「乙女の像」と併せ、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

此は到底、営利を外にした各方面の人の気が揃ふと言ふ珍らしい事情の起こらない限り出来ない為事である。私は此の刊行会の当事者のやうなむきな人達の一所に集つた珍らしい機会の到来に感謝する。

散文「「日本古典全集」に感謝す」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

「為事」は、採算をほとんど度外視して、武者小路実篤の新しき村出版部から、与謝野夫妻等の編集で刊行された『日本古典全集』第一期50巻、第二期50巻を指します。

営利を外にした各方面の人の気が揃ふと言ふ珍らしい事情」。「ぷらっと」のリニューアルにも通じる話ですね。