昨日は、都内2ヶ所を廻っておりました。
まず、日暮里の太平洋美術会研究所さん。明治40年(1907)からのおそらく数年間、智恵子が通った太平洋画会の後身です(智恵子が通っていた頃と、場所は変わっていますが)。
こちらで、智恵子の名も載った昔の名簿的なものが出てきたというので、拝見させていただこうと、参上した次第です。隣接する第一日暮里小学校さんでの特別授業などで知遇を得ていた、同会の松本氏が対応して下さいました。
こちらがその名簿。昭和に入ってから書かれたものでした。
智恵子の名は、昭和7年(1932)の「第二回卒業者」という中にありました。「千恵子」と誤記されていましたが、「高村光太郎夫人」と薄く書き込みがしてありました。さらに「明治三十八年通学」「こゝに記載」「卒業者とする」などの書き込みも。何をもって同会の卒業という扱いにしたのか、なぜ昭和7年の項に名前があるのかなど、詳しいことは不明とのことでした。
ちなみに智恵子が同会に通い始めたのは日本女子大学校を卒業した明治40年(1907)とされています。明治38年(1905)は、まだ女子大学校に在学中でした。しかし、もしかすると、在学中に松井昇などの手引きで、同会に通い始めたことも考えられなくはないな、と思いました。ただ、名簿が書かれたのが昭和に入ってからなので、智恵子が通っていたのはその時点で20年以上前。関係者の記憶や記録があやふやだったための誤記とも考えられます。
当方がお伺いするということで、松本氏、光太郎に関する資料も引っ張り出していて下さいました。明治から大正にかけての雑誌『秀才文壇』。国会図書館さんには所蔵がなく、駒場の日本近代文学館さん、横浜の神奈川近代文学館さんでは、とびとびにしか所蔵されていないため、光太郎が寄稿しているはずの号がこれまで未見でした。
以前に、当会顧問・北川太一先生から、「光太郎にこういう文筆作品があるはずだから見つけるように」と渡されたリストに、『秀才文壇』に掲載されたはず、というもののタイトルが複数記されていました。しかし、これまで折に触れて捜していましたが、見つからないでいたものです。
その『秀才文壇』がドンと出てきたので、驚愕しました。なんとまあ、編集長の野口安治が、松本氏の御曾祖父にあたられるそうで、こちらに所蔵されているとのこと。
そして、ありました!
ロダンの秘書だった、ジュディト・クラデルが書き、光太郎が訳した「ロダンといふ人」。明治43年(1910)の『秀才文壇』に3回にわたって掲載されたのですが、筑摩書房『高村光太郎全集』刊行時点では、そのうちの第3回のみしか見つけられず、第1回、第2回が漏れています。それがあったので、驚愕した次第です。
また、野口に宛てたと推定される、大正6年(1917)の年賀状も紹介されていました。「賀正」一言の簡素なものでしたが、これも『高村光太郎全集』に未収のものでした。
他にも色々ありそうなので、自宅兼事務所に帰って早速調べた内容と、さらなる調査を依頼する文言を書いて、松本氏に手紙を書きました。今後に期待しております。
そんなこんなで太平洋美術会研究所さんを後にし、次なる目的地、谷中の台東区立朝倉彫塑館さんへ。先月から特別展「彫刻家の眼―コレクションにみる朝倉流哲学」が始まっています。
同館では他館の様々な企画展等に貸し出していて、他の場所で何度も見た作品ですが、こちらで見るのは初めてでした。また、以前に伺ったときにはなかった新商品ということで、「手」のポストカード(100円)が販売されていまして、思わず10枚も買ってしまいました(笑)。
その他、光太郎とも交流のあった大工道具鍛冶・千代鶴是秀の手になる刃物類などがたくさん並んでおり、興味深く拝見しました。「用の美」がにじみ出ている実用的なものもそうですし、遊び心溢れる非実用的な魚の形のものなど、そのどれもこれもですが、特に切り出し刀は「切れる」というのが見ただけで分かります。朝倉や、光雲弟子筋の平櫛田中などが惚れ込んだというのもうなずけました。
こちらは12月24日(月)までの長い会期となっています。ぜひ足をお運びください。
今日はこの後、信州安曇野碌山美術館さんでの開館60周年の記念行事に行って参ります。
【折々のことば・光太郎】
「故郷図絵集」をよんで其の中にある一脈の「荒さ」に強く心をひかれました。この荒さといふ事に就ては或は自己流の説明を要するかも知れませんが、とにかくオリヂナルのものに必ず潜む「あらたへ」の感じです。芭蕉が持つてゐて其の弟子達に少いものです。荒々しい文字に必ずしもあると言へないところのもの、オリヂナルならざるものには絶無の或る感じです。
散文「所感の一端――室生犀星詩集「故郷図絵集」――」より
昭和2年(1927) 光太郎45歳
昭和2年(1927) 光太郎45歳
「故郷図絵集」は、この年刊行された室生犀星の詩集。「あらたへ」は、織り目の粗い粗末な織物のことです。