秋田県小坂町の町立総合博物館郷土館さんを経由して、詩集『智恵子抄』(昭和16年=1941)版元の龍星閣さんから書籍を頂きました。

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題して『澤田伊四郎 造本一路』。故・002澤田伊四郎氏は龍星閣さん創業者です。昨年には光太郎からの書簡類などが、郷里の秋田県小坂町に寄贈されています。また、竹久夢二関連は千代田区に寄贈、今年、東京ステーションギャラリーさんで公開され、話題を呼びました。

その辺りに伴う記念出版ということで、どうも非売品のようです。定価等の記載もありません。添え状によれば、主に秋田県内の図書館等に寄贈されたようです。

カラー印刷の堅牢な函に収められ、本体は『智恵子抄』戦後新版(昭和26年=1951)を思わせる赤布貼。豪勢な作りです。本文272頁、ちょっとした厚冊です。

目次的には以下の通り。

 本の芸術家
 澤田伊四郎の略年譜と著作・刊行物など
 澤田伊四郎写真抄
 終わりに
 付 龍星閣刊行書目録

このうち「澤田伊四郎の略年譜と著作・刊行物など」が全体の約9割を占め、龍星閣さん創業前の大正7年(1918)から、澤田氏の没後、『智恵子抄』五十年記念愛蔵版が刊行された平成3年(1991)までの、澤田氏と龍星閣のあゆみがまとめられています。

ほぼほぼ個人経営であった龍星閣さん、社主のあゆみがおおむね社史でもある、という感じです。

単なる年表にとどまらず、合間合間に重要事項の解説や、各種メディアからの引用文などが挟み込まれ、興味深く拝読いたしました。

それについて言及する立場にないので、詳細は割愛しますが、光太郎没後に「智恵子抄裁判」というのがあり、龍星閣さんにとっては不本意な結果に終わっています。しかし、澤田伊四郎という人物がいなければ、『智恵子抄』が世に送り出されることはなく、おそらく光太郎の名も今ほど人口に膾炙していないでしょう。

そうしたもろもろも含め、この場を使いましてあらためて謝意を表します。


【折々のことば・光太郎】

Hon ni kore hodo natsukasimi no ayu, Tama no yô ni reiro to shita shikisai to Shinkei no utsukushiku mattaki shijinn no Iki to tansoku towo kiita kotowa arimasen. Jimen no naka kara deta mono no yô ni Precieuse na hikari ga arimasu ne.

散文「尺牘」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

題名の「尺牘」は「せきとく」と読み、「手紙」の意。北原白秋に宛てた、『思ひ出』献呈への謝辞です。雑誌『朱欒(ザムボア)』に発表されました。

なぜかローマ字で書かれていますが、無理くり書き下してみます。

ほんに此程懐みのある、珠のやうに玲瓏とした色彩と神経の美しく全き詩人の意気(息?)と嘆息とを聞いた事は有りません。地面の中から出た物のやうにPrecieuseな光が有りますね。

Precieuse」はおそらく仏語の「Précieuses 」で、「貴重な」の意です。