智恵子関連新聞記事等、4件ご紹介します。
まず先週の『神戸新聞』さんの一面コラム。
正平調 2018/10/08
湊川神社西側の坂を上ると神戸文化ホールの大壁画が目に入る。印象的な青いアジサイ。このモザイク画は高村智恵子の紙絵から制作された。ホールの完成は1973年だから、半世紀近く市民に親しまれている◆智恵子の名は、彫刻家・詩人である夫高村光太郎の愛に満ちた詩集「智恵子抄(ちえこしょう)」で知られるが、明治時代に洋画を学んだ先進的な女性だった◆精神を病んで、病床で紙絵を作り続けた智恵子は38年10月に52歳で没した。それから80年を迎える今年、郷里の福島県二本松市では智恵子抄の朗読大会などが開かれるという◆ホールのモザイク画の下には小さな石碑がある。光太郎の詩「晩餐(ばんさん)」の一節を刻む。〈われらのすべてに溢(あふ)れこぼるるものあれ われらつねにみちよ〉。光太郎と親交のあった詩人草野心平が書いた◆アジサイの元絵を収める画集「智恵子紙絵」を開けば、花や果物、動物などを題材にした繊細な作品が次々と現れる。これをホールの壁に選んだセンスに、今更ながら敬服する◆紙絵は智恵子の詩であり叙情であったと、光太郎は記す。「私に見せる時の智恵子の恥かしさうなうれしさうな顔が忘れられない」。ホールは三宮への移転が計画されている。その後も、この壁画が残ってくれればいいのだが。神戸文化ホールさん、20年ほど前に、現地に行って観て参りました。
原画はこちら。
どういう経緯で智恵子の紙絵が神戸の地に採用されたのか寡聞にして存じませんが、こんな感じで智恵子作品が使われているのは全国でここだけです。
壁画の下には、記事にもある、当会の祖・草野心平揮毫の碑。
壁画ともども、残していただきたいものです。
続いて、やはり先週、10日付の『朝日新聞』さん。投書欄の一角にある、風刺の効いた一言で笑いを誘う短文投稿欄的なコーナーです。
背景の解説的な、『東京新聞』さんの記事がこちら。
<すぐそこに米軍 首都圏基地問題>横田空域の返還求めず 羽田新ルートで政府
東京都心上空を初めて通る羽田空港(東京都大田区)の新飛行ルートが在日米軍が管制権をもつ横田空域を一時的に通過する問題で、日本政府が通過空域の返還を求めない方針であることが、国土交通、外務両省や米軍への取材で分かった。日米は管制業務の分担について協議を続けている。(皆川剛) 新飛行ルートは二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックに向け、羽田空港の国際線の発着枠を増やすために導入される。東京湾の上を通って離着陸するこれまでの原則を変え、都心上空を通過することになる。その際、横田空域の東端をかすめることになり、国交省と米軍の実務者間で対応を協議してきた。
現在、羽田を利用する民間機は横田空域を避けて航行しており、新ルートに合わせて〇八年以来となる空域返還の可能性も取り沙汰された。しかし、国交省管制課と外務省日米地位協定室は本紙取材に、「横田空域の削減(返還)は求めない」との見解を示した。
国交省の担当者は「〇八年の削減で当面の航空需要には対応できており、これ以上の削減を求めるのは米軍の運用上も難しい」と説明した。
在日米軍司令部も「横田空域のいかなる部分に関しても、永久的な返還の実質的な交渉は行っていない」と文書で回答した。
横田空域を維持したまま新飛行ルートを運用すれば、着陸間際の航空機の通る空域が羽田、横田、羽田と変わる。短時間の間にパイロットが交信先を二度変えねばならず、安全性の面からも懸念が大きい。国交省は、横田空域を通過する際も日本側が管制を一元的に担当する案も含めて米軍と協議するとしている。
<横田空域> 東京から静岡や新潟まで1都8県にまたがり、高度約2400~7000メートルの階段状に広がる。域内にある厚木や入間などの基地を離着陸する米軍機や自衛隊機の管制を、横田基地の米軍人が行っている。民間機も飛行計画を提出すれば通れるが、現在、羽田空港の定期便の航空路は通っていない。
こちらも寡聞にして存じませんでしたが、東京はじめ1都8県の空域は、ほぼ米軍の管理下にある実情だそうで。結局、アメリカのポチなんですね(笑)。
お次は『福島民友』さん。今週月曜の記事です。
「智恵子の居室」特別公開 二本松の生家、初日から大勢の観光客
二本松市智恵子の生家・記念館自主事業として二本松市にある智恵子の生家2階の特別公開が13日、始まった。11月25日までの土、日曜日と祝日に公開される。 生家の2階は通常公開されず、市内で繰り広げられている重陽の芸術祭の一環で「智恵子の居室」として披露された。
初日から観光客らが大勢訪れ、興味深げに部屋の中を見て回っていた。時間は午前9時~正午と午後1時~同4時。
切り絵アーティストの福井利佐さんの作品展も13日、智恵子の生家で始まった。同展は重陽の芸術祭プログラムの一つで、11月25日まで開かれている。智恵子の生家内の至る所に作品が飾られ、来場者を楽しませている。
「福島ビエンナーレ」の一環としての取り組みです。昨年の様子はこちら。今年は切り絵作家の福井利佐さんによるインスタレーションが行われており、当方、来週末に行って参ります。福井さんのブログに展示風景がアップされています。
最後に一昨日の『福島民報』さん。
飲食業者が全国大会 35都道府県1000人、復興応援
全国社交飲食業代表者福島大会は十五日、福島市のとうほう・みんなの文化センター(福島県文化センター)で開かれた。席上、厚生労働省医薬・生活衛生局長表彰の太田和彦氏(郡山市、味の串天)、全国生活衛生同業組合中央会理事長感謝状の高野豊氏(会津若松市、ゑびす亭)、全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会会長表彰の鴫原岩男氏(二本松市、クラブキーボード)らをたたえた。全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会の主催、県社交飲食業生活衛生同業組合の主管。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を応援しようと「ほんとの空・みんなの笑顔・よみがえる福島」を大会テーマに三十五都道府県から約千人が参加した。
実行委員長の鈴木悦朗県社交飲食業生活衛生同業組合専務理事(福島市、轟座)ら都道府県ごとに組合旗を掲げて入場した。大会委員長の佐藤吉昭県社交飲食業生活衛生同業組合理事長(福島市、談妃留)が震災と原発事故後の全国からの支援に感謝を伝え「福島の魅力を味わってほしい」と歓迎した。畠利行副知事、木幡浩福島市長が祝辞を述べた。
組合活性化のための人材育成に努め、組織の強化拡大などを盛り込んだ大会宣言を採択した。
太田氏、高野氏、鴫原氏以外の県内受賞者は次の通り。
▽全国生活衛生同業組合中央会理事長感謝状=高橋光子(福島市、フラワーロード)伊藤小百合(須賀川市、スナック鶴つう)
▽全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会会長表彰=中島隆(伊達市、FineBar Sora)
光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語、福島の復興の合い言葉として、広く一人歩きしている感があります。もっともっと広まってほしいものです。
【折々のことば・光太郎】
芸術品としての価値について今更贅語を費すのは、雪を冷たいと説明するやうな愚に近いのを感ずる。
散文「北原白秋の「思ひ出」」より 明治44年(1911) 光太郎29歳
この年刊行された白秋の詩集『思ひ出』を評する文章の一節です。現代に於いても、「雪は冷たい」式のエラいセンセイ方の「評論」がまかり通っていますね(笑)。