一泊二日の行程を終え、昨日の夕方、千葉の自宅兼事務所に戻りました。

一昨日は智恵子を偲ぶ「第24回レモン忌」に参加、さらに智恵子生家で開催中の「坂本富江展 「智恵子抄」に魅せられて そして~今~ パートⅡ」を拝見。岳温泉さんに宿泊いたしました。

昨日は午前10時から、二本松駅前の市民交流センターで「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」が行われました。その前に、早く目が覚めてしまいましたので、智恵子の愛した「ほんとの空」を堪能しようと、安達太良山奥岳登山口まで愛車で行くことにしました。

8時前には宿を出たのですが、登山口の手前、2㎞ほどのところから渋滞。驚きました。

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結局、登山口より数百メートル手前の無料駐車場に車を駐め、歩きました。

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下界はまだまだ点々とでしたが、下から見る限り、山頂付近はもうかなり紅葉に色づいていました。そして台風一過の「ほんとの空」。

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さて、とって返して二本松市街へ愛車を向けました。その頃になると登りの渋滞は倍以上に伸びていました。多くの方に訪れていただき、ありがたい限りです。

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市民交流センターに到着。午前10時、智恵子検定開会。

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結局、受検人数はあまり多くなかったので、少し残念でした。開会式的な時間の中で、監修の当方も一言ご挨拶だけさせていただき、皆さんの健闘を祈りつつ、二本松を後にしました。

その前後、一昨日から昨日にかけ、二本松で新聞各紙を購入しました。

一昨日の『福島民友』さん。坂本富江さんの個展の記事が掲載されました。

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昨日の『朝日新聞』さん福島版。一昨日の「レモン忌」を大きく取り上げて下さいました。

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ネット上にも。 

福島)没後80年、智恵子しのぶ 二本松で「レモン忌」

 詩人で彫刻家の高村光太郎の妻智恵子をしのぶ24回目の「レモン忌」が7日、生家がある二本松市であった。主催した「智恵子の里レモン会」の会員ら約40人が集い、智恵子の好きだったレモンと花を肖像画に捧げ、光太郎が妻への愛を記した「亡き人に」を朗読した。
 智恵子が所属して洋画を学んだ美術団体の後継団体である「太平洋美術会」会員の坂本富江さんが記念講演し、智恵子の画学生時代の足跡などを紹介した。
 レモン会会長の渡辺秀雄さん(86)は「光太郎の妻」「優しく病気がちな女性」というイメージとは異なる面に智恵子の魅力を感じるという。渡辺さんによると、智恵子が残した文章の中に、関東大震災後の復興策や憲兵隊の横暴を批判したものがある。「しっかりした意見を持って社会に目を向けていた。新しい時代の女性だったと思う」と渡辺さんは評価する。
 今年は智恵子の没後80年にあたり、様々なイベントが開かれる。
 坂本さんは「智恵子抄」をテーマにした絵画作品展を智恵子の生家で9日まで開催。8日には「智恵子のまち夢くらぶ」の主催で「智恵子検定」が市民交流センターで開催される。また11月18日には、智恵子や光太郎への思いを詩の朗読やスピーチなどで表現してもらう「全国『智恵子抄』朗読大会」が市コンサートホールで開かれる。(杉村和将、奥村輝)

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それから、昨日の『福島民報』さん。『福島民友』さんで先週取り上げた「好きです智恵子純愛通り」CDについてです。

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CDそのものも、いただいて参りました。

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手作りといいますか、草の根といいますか、地方でのこうした地道な取り組みが大事なんだよな、と感じました。


この後、山形県天童市へ。明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

佐藤氏は詩魔に憑かれた魔性の人のやうに見えた。端倪を知らずとは正に此の詩人の詩業の事である。

散文「詩魔佐藤惣之助氏」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

佐藤惣之助は光太郎より7歳年少の詩人。前年に急逝した佐藤の追悼文集に寄せた文章の一節です。

端倪を知らず」は、その全体像を安易に推し量るべきでない、といった意味。「詩魔に憑かれた魔性の人」といい、光太郎自身の評としてもよいような気がします。