特に智恵子の関連で、新聞雑誌各紙誌にいろいろ出ていますので、ご紹介します。

まずは9月20日(木)、『朝日新聞』さんの北海道版。「歌壇」という欄で、読者の方々からの投稿短歌欄です。

イメージ 1

函館の作山宗邦さんという方の作。

妻持ちし文学全集抜きだして智恵子抄読む新盆の朝

「持ちし」と過去形ですから、「新盆」は奥様のそれだったのでしょう。「智恵子抄」をご生前に好まれていたのでしょうか。切ない歌ですが、厨(くりや)で智恵子の遺した梅酒を見つけた光太郎のような、リアル「智恵子抄」短歌ですね。


続いて、『しんぶん赤旗』さん。9月23日(日)の日曜版で、「智恵子の生家と「ほんとの空」」ということで、智恵子の故郷、二本松の紹介が載りました。

イメージ 2

智恵子生家・記念館を大きく扱って下さいました。同紙では、今年6月にも智恵子がらみで安達太良山を取り上げて下さっています。


それから、日本古書通信社さん発行の雑誌『日本古書通信』9月号。巻末に全国の古書店さんの在庫目録的なページがついていますが、その中で、神田の八木書店さんのページに、光太郎の書簡が。

イメージ 3

出版社文一路社の社主、森下文一郎に宛てたもので、筑摩書房の『高村光太郎全集』に漏れているものです。智恵子が亡くなる前年の昭和12年(1937)のものと推定され、智恵子にも触れています。

拝復 先日はおてがみ忝く拝見しました、一寸いそぎの事がありました為め御返事失礼しました、
今年の暑は殊にからだにこたへ毎日閉口して居ります、やむを得ず仕事はして居りますがはかどりません、
あなたの方はお変りなく御健勝で居られますか、 おてがみによれば何か御用との事ですが、若しお急ぎの事でなければ秋涼の頃まで待つて頂ければありがたく存じます、この暑さで半病人の有様で居ますので殆と人にも会はずに暮して居ます、全く夏ばかりは一切をすてたく思ひます、 智恵子がまだ悪かつたりしますので尚更小生は腐つて居ます、早く秋風高く吹いてくれればいいとそれのみ望んで居る次第です、
御見舞の御礼かたがた御返事まで    艸々
   七月十五日
       高村光太郎
  森下文一郎様
  二伸 若しお急ぎの事でしたらおてがみでおきかせ下されば早速御返事いたします、

何げなく書かれた一言が、やはり切なく感じられます。


最後に、智恵子は絡みませんが、『月刊絵手紙』さん10月号。花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、昨年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

今号は、昭和29年(1954)に書かれた「書をみるたのしさ」の一節が取り上げられています。

イメージ 4 イメージ 5

併せて紹介しておきます。


さらに、雑誌というわけではありませんが、智恵子の故郷・二本松市の広報紙『広報にほんまつ』さんで、今月の様々なイベント等が紹介されています。そちらは明日。


【折々のことば・光太郎】

私はかかる意味のフランスに感謝してゐる。「感謝」といふ詩にも書いた通り其は黙つてゐても物のわかるといふ、あの人間精神文化の最尖端を鷹揚に持つところの一種の気質である。

散文「熱情と理解の人――川路柳虹の印象――」より
 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「美」や「芸術」が人々の生活に深く根付き、無意識に文化的な生活を送っているフランス国民への讃仰です。光太郎の朋友だった詩人・川路柳虹もそうした気質を備えていたと言っています。