少し前から紹介すべき内容が多すぎて、このブログで取り上げるのが中々追いつきません。嬉しい悲鳴ですが。
今月初めからの新聞各紙の記事をまとめてご紹介します。
まず、『福島民友』さん。8月5日(日)に福島市で開催された女優の中嶋朋子さん朗読会についてです。
北の国からの蛍...倉本作品「朗読」 福島で女優・中嶋朋子さん
脚本家倉本聰さんが手掛けたドラマ「北の国から」の蛍役で知られる女優中嶋朋子さんによる朗読会が5日、福島市のとうほう・みんなの文化センターで開かれた。倉本さんが富岡町をテーマにした点描画「夜の森 桜はそっと呟(つぶや)く」に添えた詩の朗読では、中嶋さんが自然の視点に立った情景をしっとりと聞かせ、来場者を倉本作品の世界にいざなった。 中嶋さんとゲストの詩人和合亮一さん(福島市)が朗読した。「夜の森―」は富岡町にある「夜の森の桜」の東京電力福島第1原発事故後の心情を想像した詩で、中嶋さんは「倉本さんは観察のプロフェッショナル。夜の森の桜を繊細に表現したのだろう。皆さんも作品を心の声で読んで味わってほしい」と語った。
中嶋さんはこのほか、本県ゆかりの高村光太郎の「樹下の二人」と草野心平の「おたまじゃくしたち45匹」を読み上げた。和合さんも自作「詩の礫(つぶて)」などを披露した。
トークショーでは「北の国から」の撮影秘話を披露。連続ドラマで列車を中嶋さんが追い掛ける場面は「走りながら、いいタイミングでマフラーが飛んでいくシーンを撮るために何度も走った」と明かし、ユーモアを交えながら倉本さんやスタッフの情熱が今も語り継がれる名シーンをつくり出した様子を紹介した。
朗読会は福島民友新聞社の主催、大清プロダクションの特別協賛。同センターで開催中の展覧会「森のささやきが聞こえますか―倉本聰の仕事と点描画展」との同時開催。
「あぁ懐かしい」
中嶋朋子さんは朗読会前に展覧会会場を訪れ、倉本聰さんが描いた点描画などを鑑賞した。
中嶋さんは「自然の中にいると人間の無力さが分かる。倉本先生は自然の強さや優しさ、大きさを木に語らせた」と想像した。「北の国から」の小道具や撮影セットの展示では、蛍役の衣装と再会。「あぁ懐かしい」と声が漏れた。
中嶋さんはこれまでも観光などで何度も来県していると明かし、「自然豊かな福島にまた訪れたい」と話した。
続いて同じ福島の『福島民報』さん。7日掲載の記事です。
記念事業で誘客 智恵子没後80年
二本松市出身の洋画家・高村智恵子を顕彰する民間団体「智恵子のまち夢くらぶ」は今年の智恵子没後八十年に合わせ、多彩な記念事業を展開する。メイン事業として十一月十八日に二本松市コンサートホールで「全国『智恵子抄』朗読大会」を開く。愛と芸術に生涯をささげた智恵子を多くの人に知ってもらい、観光誘客にもつなげる。「全国『智恵子抄』朗読大会」は国内初開催となる。詩人で彫刻家の夫高村光太郎が詠んだ智恵子抄は、智恵子への愛情が凝縮された詩集として知られる。智恵子、光太郎夫妻への思いを込めたスピーチと詩の朗読を通じ、県民だけでなく全国の人々に「純愛」を感じてもらう。福島大名誉教授の沢正宏さんが審査委員長を務める。八月下旬から出場者を募る予定。
十二月には「智恵子カフェ」を催し、智恵子にちなんだ菓子を味わいながら智恵子と光太郎の人生について語り合う。九月には智恵子純愛通り記念碑第十回建立祭、十月には智恵子に関する知識を問う「智恵子検定」などを予定している。夢くらぶは毎年、智恵子に関するイベントを開催してきたが、全国規模の催しを主催するのは初めて。
六日に同市の市民交流センターで開いた企画会議で事業の詳細を決めた。熊谷健一代表(67)は「智恵子の魅力を発信して文化振興につなげたい」と話した。各種イベントに関する問い合わせは智恵子のまち夢くらぶの熊谷代表 電話0243(23)6743へ。
だいぶ前にちらっとご紹介しまして、詳細はまた改めてご紹介しますが、チラシは下記の通りです。
それから、8月6日(月)の『毎日新聞』さん。歌人の川野里子氏のコラムです。
ことばの五感 「本物」はどこに?=川野里子
都会生活が長くなったせいか「本物の生活」というものに憧れるようになった。しかし「本物の生活」とは一体どんな生活のことなのか? 例えば野菜は無農薬で育て、衣類から家具まで手作りをする。魚を焼くにも炭火を熾(おこ)し、風呂も薪で沸かす。そんな生活のことだろうか。私の父母は老後このような「本物」生活に楽しそうに没頭した。だがそのために働きずくめに見えた。怠け物の私には無理だ。あのひたむきな「本物」への情熱を不思議な気持ちで思い出す。「本物」とは何か? あるアメリカ人の老婦人が「アメリカには何でもあるけど、本物がないのよ」と嘆いていた。彼女によればイギリスやフランスには本物があるという。では、ということでイギリスに行き、バッキンガム宮殿を見学した。だが、かつてルネッサンス様式だった建物はその後ネオクラシック様式へと模様替えをし、さらにさまざまに増築されたややこしい建物だった。これは「本物」か? ルネッサンス様式といえばイタリアだ。しかしルネッサンスは古代ローマの復興の意味だという。建築に、絵画に、彫像に古典への憧れが滲(にじ)む。いったい本物はどこにあるのか?
こないだは祠(ほら)があったはずなのにないやと座りこむ青葉闇 五島 諭
確かにあったはずの祠は幻だったのか? どこかにあって、しかし探すとなぜか見つからない。そういうものを私達は常に探しているのかもしれない。ずっと昔から人間は「本物」に憧れ、「本物」を目指して心の旅を続けてきた。ブランドものや骨董(こっとう)品が本物であるか否かに始まって、本物の味、本物の芸術、本物の旅などなど。詩人、高村光太郎の妻の智恵子は「ほんとの空」は故郷にしかない、と言った。そういえば本物の愛なんてことも若い頃は考えたな。苦しい堂々巡りだった。
肛門をさいごに嘗(な)めて眼を閉づる猫の生活をわれは愛する 小池 光
もしかするとこれこそ「本物の生活」なのか?
(かわの・さとこ=歌人)
川野さんのお名前、記憶のどこかに引っかかっていましたが、5月に中村稔氏著『高村光太郎論』の書評を書かれていました。
さらに、昨日の『朝日新聞』さん。読書面です。
大学の建築学科を出て、親友と建築事務所を作ったが、なかなかうまくいかない。もの書きになろうと思っていた1983年、新宿の飲み屋で知り合った「カメラ毎日」の西井一夫編集長(故人)から、書評を書くようにと1冊の本を手渡された。
『學藝諸家 濱谷浩写真集』。学問や芸術を追求する諸家、つまり藤田嗣治、鈴木大拙、湯川秀樹、高村光太郎、井伏鱒二ら91人を45年かけて撮った本だ。詩人・堀口大学を写した4枚の中には、堀口の娘の子ども時代と、花嫁姿の写真がある。
「こんなに時間をかけて撮るんだ、とびっくりしましたね。一人一人はともかく、全体としてみると人間って面白いもんだなって。これを気どった文章で評することは僕にはできないと思って、素直に書きました」
西井さんからは、翌月も、その翌月も、書評の依頼が来た。初の著書である都市論『乱歩と東京』が日本推理作家協会賞を受け、読売新聞の読書委員に。
その後、毎日、朝日の書評委員になり、読売の委員を一昨年まで長年つとめるなど、新聞に書評を書き続けてきた。
「はじめは都市や建築、美術の本が中心でしたが、だんだん崩れちゃって、何でもやるようになりました」
歴史や評論に加え、小説が増えていく。安岡章太郎や井上ひさし、津島佑子、又吉直樹に、パトリック・モディアノ、ギュンター・グラス、ミシェル・ウエルベックらも取り上げた。雑誌での書評もあわせて、この本には541冊分が収められている。33年間の定点観測的な「ブックガイド」ともなった。
本にまとめたのは、昨春、大腸がんの手術を受けた後、気力が湧かず、書いてきた書評を再読してみたらと思ったからだ。
「気力も戻ってきたけれど、友だちがすごく喜んでくれるのに驚いてます。書評している本を読みたいとか、図書館で借りて読んでいるとか」
松山さんはいつも、本から受けた印象をはっきり書く。
「こんな視点があるのかっていう本や、笑っちゃう本も含めて、心揺さぶられた本を取り上げてきました。『學藝諸家』はいいスタートでしたね」
(文・石田祐樹 写真・倉田貴志)
戦後、花巻郊外太田村の山小屋に蟄居していた光太郎を訪ね、訪問記を書いた写真家・濱谷浩の写真集について触れられています。
同じく昨日の『室蘭民報』さん。
伊達で12日まで故佐々木寒湖展、躍動感ある筆遣い
伊達市ゆかりの書家、故佐々木寒湖(かんこ)さんの作品展が12日まで、松ヶ枝町のだて歴史の杜カルチャーセンター講堂で開かれている。躍動感あふれる大作が来場者を楽しませている。 佐々木さんは留萌管内増毛町生まれ。1945年(昭和20年)~56年に伊達高校の教諭を務めた。近代詩文書の草分け・故金子鴎亭氏に師事し、仮名交じりの親しみやすい作品を数多く発表。毎日書道展や日展で活躍し、金子氏とともに創玄書道会を設立した。
展示は同センターを運営する伊達メセナ協会が初めて企画。97年に遺族から市に寄贈された作品など27点で、高村光太郎や西条八十、更科源蔵の詩などを題材にした近代詩文書は力強さに満ちている。
「曠野のをちこちの 部落が懐かしく灯を點し初めた頃 駅員は漸くそれに答えるやうに 発車を報らせる笛を鳴らした」としたためた書などが目を引いている。 (野村英史)
光太郎作品を取り上げて下さり、ありがたいかぎりです。
最後に、やはり昨日の『石巻かほく』さん。女川光太郎祭を報じて下さいました。
高村光太郎をしのび、女川で祭り 詩の朗読や講演
女川町を訪れた彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ第27回「光太郎祭」(女川・光太郎の会主催)が9日、女川町まちなか交流館で開かれた。町民ら約40人が参加し、作品を通して、光太郎の思いに触れた。 高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営員会の小山弘明代表が「高村光太郎、その生の軌跡-連作詩『暗愚小伝』をめぐって」の題で講演した。
6章20編の詩で作られる「暗愚小伝」では、光太郎が太平洋戦争への協力を促す詩を作り、多くの若者を戦地に向かわせたことを自己批判している。小山代表は「心にたまるうみをはき出すように、酒に溺れたこともあった。罪深かったという思いがあったのではないか」と述べた。
女川小の児童や愛好家ら8人が光太郎の詩を朗読したほか、光太郎の写真に向かって献花などもした。
光太郎祭は、光太郎が1931年8月9日、三陸地方を巡る旅に出発した日にちなみ、92年から開催されている。
余裕が有れば分けてご紹介すべきでしたが、今後も美術館さんの企画展示、公演系、講座系の情報等目白押しですので、いたしかたありません。まぁ、それだけまだ光太郎智恵子(光雲も)が人々に忘れ去られていないということなので、ありがたいことですが。
【折々のことば・光太郎】
詩精神と言つても、別に手の上に載せて、これが詩精神だといふやうに説明することは出来ないが、しかし詩精神を養ふのに欠くことの出来ない心の持ち方といふものはある。それはすべての物なり事なりを、新しい眼と心とで見たり考へたりすることであつて、慣れつこになつてしまはないやうにすることである。毎日はじめて見たやうに物を観察することである。
ラジオ放送「詩精神と日常生活」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳
戦後になって、花巻郊外太田村の太田中学校には「心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する」という言葉を校訓として贈っています。前半部分は盛岡少年刑務所にも。その原型とも言える一節です。