昨日の第27回女川光太郎祭を終え、先ほど、千葉の自宅兼事務所に戻りました。
女川に到着した一昨日は夜10時過ぎ、昨日は台風の影響でほぼ終日雨で、あまり街中を歩けませんでしたので、今朝、出発前に散歩がてらそぞろ歩き。
宿泊させていただいたトレーラーハウス、エル・ファロさん。
すぐ隣はJR石巻線女川駅。
駅近くに建設中の女川町新庁舎。
駅前の皇后陛下歌碑。「春風も沿ひて走らむこの朝(あした)女川駅を始発車出(い)でぬ」。一昨年、天皇皇后両陛下が女川を訪れられた際の御詠です。
駅前から海へと伸びるプロムナード沿いの、商業施設シーパルピアさん。
その一番海側の地点に、きぼうの鐘。
かつての女川駅があったあたりで、駅前のシンボルだったカリヨンの四つの鐘のうち、津波の後に一つだけ見つかったもの。震災後しばらくは、高台の仮設商店街「きぼうの鐘商店街」(かつての女川光太郎祭会場)に置かれていましたが、そちらが閉鎖となり、元の位置に移転しました。
その「きぼうの鐘商店街」にあった佐々木釣具店さん(右)。女川光太郎の会の中心メンバー、佐々木英子さん(津波でなくなった故・貝廣氏夫人)のお店です。
左はこの3年、女川光太郎祭終了後の懇親会で使われている金華楼さん。
そして、あの日、牙を剥いた海。
台風の余波でまだ波が高かったのですが、多くの漁船が次々と出航していくところでした。
倒壊した旧女川交番。震災遺構として保存が決まっています。
そして光太郎文学碑。
1日も早く、またこの碑が再び建てられることを願ってやみません。
この碑の精神を受け継いで建てられた「いのちの石碑」。帰りがけに撮影しました。
復興のトップランナーと称され、新しい街として生まれ変わりつつある女川。ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
詩精神とは事物の中心に直入する精神である。事物の関係を極限の単位に追ひつめて、その実相を爬羅剔抉し、更に翻つて新を生む精神である。詩精神が言葉に純粋にあらはれれば詩となり、造型に形をとれば美術一般となり、音波に乗れば音楽となる。およそ詩精神を欠く時、これら諸芸術は碌々たる美の形骸に過ぎない。
散文「詩精神」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳
都市計画にも言えることかもしれません。復興進む女川町を見て、そう思いました。ぜひとも女川には詩精神あふれる街となっていってほしいものです。