新刊情報です。といっても2ヶ月ほど経ってしまっていますが……。 

ロダンを魅了した幻の大女優マダム・ハナコ

2018年6月9日  大野芳(おおのかおる)著  求龍堂  定価1,800円+税

ロダンのモデルになった唯一の日本人、女優マダム・ハナコとは誰なのか?
巨匠ロダンを魅了しモデルになった唯一の日本人、それは明治時代の末、日本から遠く離れたヨーロッパで熱狂的な人気を博した女優マダム・ハナコだった。
花子探索の道にはまった二人の研究者澤田助太郎と資延勲の成果をもとに、花子の波乱の人生をまとめたノンフィクション。
明治時代の末、恋にやぶれてヨーロッパに旅立ったひとりの女性がいた。女優となった彼女は、一座を率いてヨーロッパ・ロシアを巡業し、一大センセーションを巻き起こした。 明治35年から大正10年に帰国するまでの約20年間、「マダム・ハナコ( 花子)」という芸名で人気を博した。切腹するシーンを演じる花子は、身長136cmの小さな体にもかかわらず、舞台上での存在感は圧倒的で、彫刻家ロダンの目にとまり、彼女をモデルにした彫刻を何点も残している。

目次001
 プロローグ
 第一章 花子探索の旅
 第二章 花子の生い立ち
 第三章 花子ヨーロッパへ
 第四章 ロダンと花子
 第五章 世界大戦争
 終章 料亭「湖月」のマダム
 マダム・ハナコ関係略年譜
 あとがき


平成26年(2014)、『中日新聞』さんと、系列の『東京新聞』さんに連載された「「幻の女優 マダム・ハナコ」を再構成、加筆訂正されての単行本化です。

このブログでは新聞連載時にちらっとご紹介しました。その後、単行本化されるだろうと思っていたのですが、6月に刊行されていたのに気づきませんでした。

気づいたのは『朝日新聞』さんに書評が載ったおかげでした。 

(書評)『ロダンを魅了した幻の大女優 マダム・ハナコ』 大野芳〈著〉

 ■西洋人のハート、誠意で射抜く
 本書は明治35(1902)年から大正10(1921)年までの約20年間、西欧で女優マダム・ハナコとして活躍し、ロダンにも愛(め)でられて多数の彫刻のモデルとなった太田花子の足跡を、本人からの聞き書きと内外の史料や証言、埋もれた記録を掘り起こしつつたどった労作である。
 不幸な生い立ちを背負った花子は芸者屋へ売られ、駆け落ちした男にも捨てられて失意のどん底に。国際博覧会など日本ブームにわくドイツへ渡って女優になり、やがて一座を組んで西欧諸国を巡業、ロシアの涯(は)てからニューヨークまで縦横無尽に駆け巡って大人気を博す。異国の言葉もわからず知識もない花子がよくあの時代に活躍できたものだと驚嘆させられる。
 とはいえ、それだけなら「世界の涯てに日本人がいた!」という程度の感嘆符で終わってしまう。本書の肝はそこではない。
 なぜ花子は西洋人にこれほどモテたのか。西洋人から見れば子供のような体形の花子が舞台の上で切腹の場面などをリアルに演じて拍手喝采を浴びる。東洋人の女優が珍しかったのは確かだろうが、本書に掲載された数々の写真を見ても、正直、花子は美女ではなく、愛くるしいとも言い難い。
 著者は巧みにその謎を解いてみせる。夫が死んだときも、開幕が迫る中、列車の中で号泣しつつ巡業地へ向かう花子。山賊が出るという山道で遅れ、塵穢(ほこり)にまみれたまま舞台の前で観客に詫(わ)びる花子。巡業の列車ではトイレでも必死で異国語を覚えた。どこにいてもロダンを気づかって手紙を書き、ロダンの内妻を思いやる。やっぱり心なのだ。それだけは世界共通!
 森鴎外をはじめ当時の日本人は、芸者あがりの花子を酷評し嘲笑した。誤解の元となる短編まで書いた。だからこそ、著者は本書を世に問うたのではないか。表層で人を評価してはいけない。言語や知識を越えた誠意だけが、人を、世界を動かすのだ……と。
 評・諸田玲子(作家)
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 『ロダンを魅了した幻の大女優 マダム・ハナコ』 大野芳〈著〉 求龍堂 1944円
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 おおの・かおる 41年生まれ。ノンフィクション作家。『北針』『宮中某重大事件』『戦艦大和転針ス』など。


光太郎が敬愛したロダンのモデルを務め、光太郎が評伝『ロダン』(昭和2年=1927)執筆に際し、岐阜まで会いに行った日本人女優・花子の評伝です。

花子に関してはこちら。


本書でも随所で光太郎について言及して下さっています。

ちょうど上記リンクにもある岐阜県図書館さんの企画展「花子 ロダンのモデルになった明治の女性」が開催中ですので、これはもうそれを見に行け、と言う啓示なのだと思い、盆明けに行って来ることにしました。

皆様も本書お買い求めの上、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

言葉は生きものであるから、自分で使つてゐながらなかなか自分の思ふやうにならず、むしろ言葉に左右されて思想までが或る限定をうけ、その言葉のはたらきの埒外へうまく出られない場合が多い。人間の心情にはもつと深い、こまかい、無限の色合いがあるのに、言葉はそれを言葉そのものの流儀にしか通訳してくれない。

散文「言葉の事」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳


だから「言ふにいはれぬ」という常套句が使われるのだ、と光太郎は指摘しています。その通り、まったく言葉というやつは厄介ですね。