7/29(日)、安曇野市の碌山美術館さんにて、夏期企画展「美に生きる―萩原守衛の親友たち―」を拝見した後、愛車を次なる目的地、諏訪方面に走らせました。目指すはサンリツ服部美術館さん。安曇野ICから乗った長野道を岡谷ICで下り、走ること十数分。諏訪湖の湖畔にありました。
諏訪で服部と言えば、やはりそうなのかな、と思っていましたら、やはりそうでした。服部セイコー創業者・服部金太郎の孫にして、元セイコーエプソン社長の故・服部一郎氏のコレクションと、株式会社サンリツさんが集めた美術品を展示する私設美術館です。
こちらでは、7月15日(日)から、企画展「明治維新150年記念 幕末から昭和の芸術家たちと近代数寄者のまなざし」が開催中。光太郎の父・高村光雲作の木彫「鍾馗像」が出ているというので、拝見に伺った次第です。
展示室は二つあり、奥の方の広い展示室がその会場でした。
光雲の「鍾馗像」は目玉の一つと位置づけて下さっているようで、壁際のショーウィンドウ的なケースではなく、会場ほぼ中央のガラスケースに展示され、おかげでぐるっと360°から見ることができました。銘を見れば、光雲個人の作なのか、弟子の手が入っているのか、ほぼわかるのですが、残念ながら、銘は確認できませんでした。おそらくひょいと持ち上げると、底に刻まれているのではないかと思われます。ただ、若干、粗い彫りなのかな、という気もしました。しかし、秀逸だなと思ったのは、ポージング。以前に見た他の「鍾馗像」は、どれも直立不動の仁王立ち(鍾馗様が仁王立ちというのもおかしな話ですが(笑))でしたが、こちらは左足を岩に乗せていて、その分、躍動感が感じられます。像高は50㌢ほどだったでしょうか。
他に、平櫛田中、富本憲吉、柴田是真ら、光雲・光太郎親子と関わりの深かった作家の作も展示されており、興味深く拝見しました。光太郎の朋友・岸田劉生の絵は、8月21日(火)からの後期での展示だそうで、そちらは見られなかったのが残念でしたが。
光雲の「鍾馗像」は、前後期通じての展示だそうです。
もう一つの展示室では、同時開催として「憧憬の西洋」。ブラマンクやキスリングなどの西欧画家と、東京美術学校西洋画科での光太郎の同級生・藤田嗣治などの日本人画家が描いた西洋の風景画の展示でした。藤田の絵(大正6年=1917)は、光太郎も見たであろうモンマルトルの風景。「光太郎に見せたかったな」と思いました。
長野県は、美術館の数では日本一の県だそうです。今回も、道すがら、多くの美術館さんがありました。ただし、維持していくのは大変なようで、やはり光太郎と交流のあった村山槐多の作品などを展示していた上田市の信濃デッサン館さんは事実上閉館、それから、光太郎とは関わりませんが、小布施の池田満寿夫美術館さんなども閉館してしまいました。
いろいろ難しい問題もあるとは思いますが、どこの美術館さんも盛況であるような、そういう世の中であってほしいものです。
【折々のことば・光太郎】
衣を剥げば日常語即詩語である。詩は言葉の裸身である。
散文「詩について」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳
いわゆる美辞麗句を避け、口語自由詩の確立に功績のあった光太郎ならではの言ですね。