東北の新聞2紙から。

まずは青森の地方紙『東奥日報』さんの一面コラム。今月23日の掲載分で、先週行われた「十和田湖ウォーク」にからめでです。

天地人 2018年7月23日分

 夏の一日、久しぶりに十和田湖に出かけた。湖畔の「乙女の像」まで足を延ばしたのは、子どものころの遠足以来かもしれない。高村光太郎の晩年の傑作とされる一対の裸婦像は、十和田湖の美を象徴する。彫像の前に、にぎやかな女性旅行者たち。手を合わせるように向き合う乙女のポーズに興じながら写真を撮り合っていた。
 乙女の像から少し奥まった所にある十和田神社は近ごろパワースポットとして人気という。杉木立を抜け境内に入ると、バックパック姿の外国人旅行者が、ベンチに腰を下ろし、霊験あらたかな空気に浸っていた。
 一段と深みを増した緑がぐるり。水面(みなも)を渡る風がすうっと頬をなでる。湖上遊覧では圧倒的なパノラマに解放感を味わった。
 いつからか観光地としての衰退が叫ばれている十和田湖である。しかし悠久の時が創り出した雄大な自然美は、きらきらと多彩な表情を見せ、底知れぬ力を感じさせる。最近は、奥入瀬渓流のコケに注目したエコツーリズムや湖畔のカヌー体験など、新たな切り口でこの一帯の魅力を伝える体験型観光も増えているという。
 きのう全国から千人超が参加した十和田湖ウオークもその一つだろう。神秘の湖の周りを歩いて歩いて1周50キロ。存分にいい汗をかいた後の温泉や冷えたビールは、体にしみたに違いない。いつもよりずっと深い眠りも堪能できたのではないか。


確かにインバウンドの方々が目立つようになった十和田湖周辺ですが、国内の方々にも、もっと訪れていただきたいものです。


続いて『朝日新聞』さんの岩手版。昨日の掲載です。 

光太郎の花巻 再現 記念館でジオラマ公開

 彫刻家で詩人の高村001光太郎(1883~1956)が終戦後の7年間、山居生活を送った当時の花巻を再現したジオラマ模型が、花巻市太田の高村光太郎記念館の企画展「光太郎と花巻電鉄」で公開されている。
 模型は幅1・8メートル、奥行き1・2メートル。旧花巻町役場や花巻病院、光太郎が揮毫(きごう)した宮沢賢治の「雨ニモマケズ詩碑」、商店街や花巻温泉、高村山荘など約70の建造物とその風景が、実物の約150分の1のジオラマで再現されている。光太郎が移動手段として利用した「花巻電鉄」も再現され、「馬面電車」と呼ばれた独特の細い電車がジオラマの中を駆け巡っている。
 光太郎は東京のアトリエを空襲で失い、知人の賢治の実家を頼って花巻市に疎開、戦後の7年間は旧太田村山口(花巻市太田)の山小屋で暮らした。ジオラマは、光太郎が暮らした当時の雰囲気を伝える企画展の目玉で、東京都品川区のジオラマ制作者、石井彰英さんに依頼し、市内の光太郎研究の専門家が情報提供して制作されたという。
 同館は「光太郎は山荘にこもっていたのではなく、市街地や温泉にも出かけて多くの人と交流していた。懐かしい情景と光太郎の足跡を感じてほしい」。展示は11月19日まで(会期中、休館なし)。問い合わせは同記念館(0198・28・3012)。(溝口太郎)


今月14日に始まった花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎と花巻電鉄」をご紹介下さいました。以前も書きましたが、各紙一斉に報じられるより、小出しにしていただけると、その都度読んだ方がいらしていただけるので、ある意味ありがたいところです。『岩手日日』さん、『読売新聞』さんではすでに報じられています。

しかし『朝日』さんの記事にある「市内の光太郎研究の専門家が情報提供」というのは、市内ご在住の『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』編集長の北山氏と、千葉県在住の当方がごっちゃになっているようです(笑)。


十和田湖、そして花巻。夏の旅行シーズン、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

詩とは人が如何に生くるかの中心より迸る放射のみ。定形無し、定理無し、定住無し、捉ふ可からず、しかも人中に遍漫す。故に詩は無限に変貌す。

散文「余はかく詩を観ず」全文 昭和2年(1927) 光太郎45歳

他にも佐藤春夫、堀口大学らの同じ題の文章が掲載されており、アンケートに分類してもいい内容ですが、『高村光太郎全集』では第8巻の評論の巻に掲載されています。