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仏像と日本人 宗教と美の近現代
2018年7月25日 碧海(おうみ)寿広著 中央公論新社(中公新書) 定価860円+税仏像鑑賞が始まったのは、実は近代以降である。明治初期に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐、すべてに軍が優先された戦時下、レジャーに沸く高度経済成長期から、〝仏像ブーム〟の現代まで、人々はさまざまな思いで仏像と向き合ってきた。本書では、岡倉天心、和辻哲郎、土門拳、白洲正子、みうらじゅんなど各時代の、〝知識人〟を通して、日本人の感性の変化をたどる。劇的に変わった日本の宗教と美のあり方が明らかに。
目次
まえがき
序章 仏像巡りの基層
1 寺院とは何か 2 前近代の古寺巡礼 3 江戸の開帳
第1章 日本美術史の構築と仏教―明治期
1 廃仏毀釈と文化財 2 フェノロサ・岡倉天心・小川一真 3 博物館と寺院
第2章 教養と古寺巡礼―大正期
1 古美術を巡る風習 2 和辻哲郎の『古寺巡礼』 3 教養としての仏像
第3章 戦時下の宗教復興―昭和戦前期
1 危機の時代の仏像 2 美術の拒絶―亀井勝一郎
3 秘仏をめぐる心性―高村光太郎
3 秘仏をめぐる心性―高村光太郎
第4章 仏像写真の時代―昭和戦後期①
1 資料・美術・教化 2 古寺「写真」巡礼―土門拳と入江泰吉
3 礼拝と展示のあいだ
3 礼拝と展示のあいだ
第5章 観光と宗教の交錯―昭和戦後期②
1 古寺と仏像の観光化 2 信じることと歩くこと―白洲正子
3 古都税をめぐる闘争
3 古都税をめぐる闘争
終章 仏像巡りの現在
1 仏像ブームと『見仏記』 2 美と宗教のゆくえ
あとがき 参考文献
著者の碧海氏は、龍谷大学などで教鞭を執られている宗教学者。その見地から、近代以降の「仏像」受容の変遷を追った好著です。
第3章の「秘仏をめぐる心性―高村光太郎」では、永らく秘仏とされ、明治期にフェノロサによってそのヴェールが剥がされた法隆寺夢殿の救世観音像を軸に、光太郎の美術観を論じています。
要約すれば、光太郎にとって「美」とは、手にとって見せられる形而下的なものではなく、人意以上のものの介在によって生み出される形而上的なもの、従って、宗教観に近い美術観であったという指摘。「なるほど」と思いました。
他の部分はまだ斜め読みですが、路傍の石仏に花を手向け、信仰の対象として拝む見方と、博物館や美術館、さらには観光地と化した寺院で美術作品として仏像を見る見方との相剋、明治以降の「仏像」の見方の変遷と、そのターニングポイントに位置した人々を論じています。
ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
Ima koko de ‘Shi’(Uta) wo tsukuru toki ni kanjita koto wo itte miru to, fudan ‘Shi’ wo kaku toki ni niyakkai ni shite furisuteyô to shitemo hanarenai mono wa, kodomono toki kara kyôiku sareta Shina no moji to kangofû no iiarawashikata de aru ; sore ga jama ni natte honto ni Essentialna mono wo dasenai koto ga yoku aru. Dasu koto ga dekinai nominarazu, sono yûrei no yôna mono ga Essentialna mono wo kabusete shimatte, kaette namajikka omomuki wo soete kuru.
談話筆記「Rômaji de shi wo kaku toki no kokoromochi 」より
大正12年(1923) 光太郎41歳
雑誌『ローマ字』に載った談話筆記のため、ローマ字表記です。漢字仮名交じりに書き下してみます。
今ここで「詩」(歌)を作る時に感じた事を言つてみると、普段「詩」を書く時に荷厄介にして振り捨てようとしても離れないものは、子供の時から教育された支那の文字と漢語風の言ひ表し方である。それが邪魔になつてほんとにエツセンシヤルなものを出せない事がよくある。出す事が出来ないのみならず、その幽霊のやうなものがエツセンシヤルなものをかぶせてしまつて、却つてなまじつか趣をそへて来る。
言葉の有りようについて、深い省察を常に行っていた光太郎ならではの言です。ただ、戦時中には空疎な漢文訓読風、大言壮語調の翼賛詩を乱発することになってゆくのですが……。