昨秋、光太郎詩集の代表作の一つ、『智恵子抄』を昭和16年(1941)に刊行し、その後も光太郎の詩集や散文集などを手がけた出版社龍星閣創業者・故澤田伊四郎氏(小坂町出身)の遺品のうち、光太郎や棟方志功関連の資料およそ5,000点が寄贈され、今春、企画展「平成29年度新収蔵資料展」でそれらの一部を展示された、秋田県小坂町の総合博物館郷土館さん。
常設展示でそれらの資料の内の一部を展示することになり、展示が始まったそうです。
NHKさんのローカルニュースから。
出版人 澤田伊四郎展
小坂町出身で、竹久夢二の画集などを数多く手がけた出版人、澤田伊四郎にまつわる資料の展示が小坂町の博物館で始まり、当時の書籍など貴重な資料を見ることが出来ます。 小坂町の博物館「郷土館」では、今月から新たに、東京・千代田区の出版社「龍星閣」に関する資料が常設展示されています。
「龍星閣」の創業者、澤田伊四郎は小坂町出身で、去年、遺族から2500点あまりの書簡や、およそ500冊の本や雑誌が寄贈されました。
このうち、常設展には調査が終わった54点が示されています。
大正ロマンを代表する画家、竹久夢二の画集は、革張りで、本の三方が金ぱくで装飾された豪華なつくりになっていて、澤田の出版へのこだわりをうかがい知ることができます。
また、彫刻家で詩人の高村光太郎が「龍星閣」から出版した詩集「智恵子抄」の初版本には光太郎が智恵子を思って詠んだ詩が直筆で書かれています。
小坂町総合博物館「郷土館」の安田隼人学芸員は、「多くの人から要望があったため常設展示することにしました。竹久夢二の特装本などは貴重なもので、これだけ美しい本を見る機会は少ないので、ぜひ見に来て、龍星閣の仕事ぶりを知ってほしいです」と話していました。
「龍星閣」の創業者、澤田伊四郎は小坂町出身で、去年、遺族から2500点あまりの書簡や、およそ500冊の本や雑誌が寄贈されました。
このうち、常設展には調査が終わった54点が示されています。
大正ロマンを代表する画家、竹久夢二の画集は、革張りで、本の三方が金ぱくで装飾された豪華なつくりになっていて、澤田の出版へのこだわりをうかがい知ることができます。
また、彫刻家で詩人の高村光太郎が「龍星閣」から出版した詩集「智恵子抄」の初版本には光太郎が智恵子を思って詠んだ詩が直筆で書かれています。
小坂町総合博物館「郷土館」の安田隼人学芸員は、「多くの人から要望があったため常設展示することにしました。竹久夢二の特装本などは貴重なもので、これだけ美しい本を見る機会は少ないので、ぜひ見に来て、龍星閣の仕事ぶりを知ってほしいです」と話していました。
当方、2月とGWに現地に伺い、報道されている署名本や書簡類を拝見して参りましたが、とてつもなく貴重な資料です。花巻高村光太郎記念館さんを除くと、こうしたものが常設で見られる場所は他にはほとんど無いように思います。
ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
おしなべて考へてみると、外国の詩に、黙読して始めて其の味を味はふべき様なのは少い。朗読してはとても聴かれないが、黙読すれば面白いといふ様なのは少い。黙読しても面白いが、朗読すれば尚ほ面白いといふのが多い。黙読してゐるうちに自然と朗読されてしまふ様なのが多い。
散文「詩歌と音楽」より 明治43年(1910) 光太郎28歳
昨日のこのコーナーでも「詩歌と音楽」という文章から引きましたが、たまたま同じ題名の別の散文です。
具体例として挙げているのは、ヴェルレーヌの詩。光太郎は前年までのパリ在住時に、プルースト研究家のマリー・ノードリンガー女史にフランス語を習っていましたが、その際に女史がテキストとして使ったのが、ヴェルレーヌなどの詩でした。それを暗誦させられた光太郎、はじめは童謡の歌詞かと思ったそうで、それほど平易かつリズミカルなわけです。また、欧州の詩の特徴としての踏韻なども聴いて心地よいと感じる原因の一つでしょう。
そして帰国後、日本でも平易な口語表現などを使って詩を書いていた北原白秋らがいて影響され、光太郎の詩作が本格化します。「黙読しても面白いが、朗読すれば尚ほ面白い」というのが、光太郎の詩作の一つの理想型になって行ったのではないでしょうか。