今春、名古屋で開催された企画展の巡回です。おそらく光太郎の父・高村光雲の木彫が出品されます。 

明治150年記念 華ひらく皇室文化 ―明治宮廷を彩る技と美―

期 日 : 2018年7月21日(土)~9月2日(日)
会 場 : 秋田市立千秋美術館 秋田県秋田市中通2-3-8
時 間 : 午前10時~午後6時
料 金 : 一般1000円(800円) 大学生700円(560円)  高校生以下無料
      ( )内は前売、20名以上の団体および秋田県立美術館との相互割引料金
       くるりん周遊パスで観覧の場合、一般700円 大学生500円

休館日 : 会期中無休

 平成30年は、明治維新から150年目の記念すべき年にあたる。欧米に比肩する近代国家を目指して進む明治という新たな時代の激流のなかで、皇室は外国使臣をもてなし、諸国との融和をはかるとともに、わが国独自の芸術を海外へと広く紹介し、美術・工芸の保護育成にも大きな役割を果たしました。
 本展では、明治宮殿を彩った染織品や調度品をはじめ、帝室技芸員による工芸品や書画など貴重な作品の数々から、明治宮廷の華やかな世界を紹介します。
 秋田会場では、明治政府の基礎固めをする上で大きな効果があった六大御巡幸のうち、秋田県内に滞在された明治14年の御巡幸ゆかりの品や、黒田清輝による重要文化財《湖畔》(東京国立博物館蔵)[展示予定期間:7月21日(土)~8月3日(金)]が特別出品されます。


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関連事業

【特別講演会】昔語りは珠匣のごとく-平成に伝えられる明治の皇室文化-
日時:7月21日(土)午前10時30分~12時 
講師:彬子女王殿下
会場:アトリオン音楽ホール(定員550名 聴講無料)
申込:往復はがきの「往信用裏面」に郵便番号、住所、氏名(ふりがな)、年齢、電話番号を、「返信用表面」に郵便番号、住所、氏名を明記、1枚につき最大2名まで。
※2名で申し込みの場合は2名分の住所、氏名、年齢、電話番号を忘れずにご記入ください。
送り先:〒010-0001 秋田市中通二丁目3-8(アトリオン)
     秋田市立千秋美術館「彬子女王殿下講演会」係まで。
     6月21日(木)必着、応募者多数の場合は抽選。
                          
【講演会】明治宮廷が愛でた美術工芸品
日時:8月18日(土)午後2時~3時30分
講師:小松大秀(本展監修者・千秋美術館館長)
会場:千秋美術館3階講堂(定員70名 聴講無料)
申込:7月9日(月)午前9時30分より電話にて受付

【宮廷装束の着装実演】
日時:7月28日(土)[午前の部]午前11時~12時 [午後の部]午後2時~3時
講師:田中 潤氏(学習院大学非常勤講師)
会場:千秋美術館3階 講堂(事前申込不要、自由見学)

【ギャラリートーク】
日時:7月29日(日)、8月11日(土) 各日午後2時より30分程度
担当:千秋美術館学芸員
会場:企画展示室(申込不要、展覧会チケットが必要。) 

 【明治天皇の軌跡をたどる トーク&ウォーク】
明治14年北海道・東北御巡幸時の明治天皇の秋田滞在に注目し、展示室での作品鑑賞や資料を用いた解説に加えて、当時の視察先があった中通周辺を散策します。
日時:8月25日(土)午後2時~4時
担当:千秋美術館学芸員
会場:3階講堂ほか中通周辺 (定員20名、展覧会チケットが必要)
申込:7月24日(火)午前9時30分より電話にて受付


光雲の作品は、「魚籃観音像」。関連事業の小松館長による講演が「明治宮廷が愛でた美術工芸品 」ということですので、帝室技芸員であった光雲についても触れていただきたいものです。


ちなみにすぐ近くの千秋公園(久保田城址)には、幕末の久保田藩第12代藩主・佐竹義堯の銅像が建っています。

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もとは大正4年(1915)、東京美術学校に依頼があり、光雲が監督、白井雨山が原型制作を担当しました。しかし、こうした像の例に漏れず、戦時中に金属供出に遭い、現在のものは平成になってから復元されたものです。

併せてご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

日本の「美」を支那の美の一支流と見る見かたに私は同意しない。石清水のやうに水口は細いけれども、日本には美の源泉がある。その源泉の性質は、エジプトの美の源泉、ギリシヤの美の源泉、キリスト教芸術の美の源泉、支那の美の源泉などと同様の深さを持つて居り、決してただ地方的の特色があるといふやうな変種程度のものではない。

散文「五十澤二郎著「歴史教室」推薦文」より
 昭和22年(1947) 光太郎65歳

明治期以降の、西洋の猿真似や袋小路に嵌った伝統芸術などには価値を認めなかった光太郎ですが、遠く古代から中世の日本美術には一定の理解を示していました。過剰に「神国日本」を讃美し、国民を煽っていた戦時中の反省から、連作詩「暗愚小伝」の執筆にかかっていた時期に書かれたこの文章、美の部分での日本の歴史はやはり否定できない、というスタンスが見て取れます。