昨日は神田の東京古書会館さんで開催された明治古典会七夕古書大入札会2018の一般下見展観に行っておりました。


今年も光太郎関連の資料が出品され、それぞれ手にとって拝見して参りました。
特に気になっていた書簡類は細かく拝見。
まず、詩人で編集者の井上康文とその妻・淑子に宛てた4通。すべて筑摩書房『高村光太郎全集』未収録のものでした。井上に宛てたものは、光太郎から以外にも出品されており、当会の祖・草野心平からのものなどもありました。


そして、北海道弟子屈の詩人・更科源蔵にあてたもの。署名本や写真などとともに一括の出品でした。

封書が9通、葉書が57枚ということで、これらが『高村光太郎全集』未収録のものであったら大変だと思っていたのですが、どうやらすべて収録済みのものでした。最も古いもので昭和3年(1928)、一番最近のものは昭和27年(1952)。『高村光太郎全集』には130通ほど掲載があり、その約半分ということになります。
署名本は、ほぼ署名と「謹呈 更科源蔵雅兄」といった文言のみでしたが、昭和22年(1947)の『道程復元版』のみ、それに関する短歌「わかき日のこの煩悩のかたまりを今はしづかにわが読むものか」がしたためられていました。それからおそらく署名本が送られてきた際の小包の包装から切り取ったと思われる更科宛の宛名部分なども付いていました。
できれば北海道の文学館さんなどで手に入れておいていただきたい品々です。
それから、やはり短歌をしたためた短冊。他の歌人のそれと220枚で一括の中に、光太郎のものも一枚入っていました。明治43年(1910)の雑誌『スバル』に発表された「爪きれば指にふき入る秋風のいと堪へがたし朝のおばしま」。ただし、揮毫の時期はもう少し後のようでした。
その他、既知のものでしたが、色紙や草稿の類など。ことによると100年の時を経て、光太郎が筆を執った実物を手に取ってみることができ、眼福というか、貴重な経験でした。
今日も午後4時まで、一般下見展観が行われています。
時間に余裕があれば、六本木の国立新美術館さんにまわり、「第38回日本教育書道藝術院同人書作展」をもう一度拝見しようかとも思ったのですが、他の雑用もあり、トンボ返り。
やはり会場にいらして下さった太平洋美術会・高村光太郎研究会の坂本富江さん経由で、「智恵子抄」の詩篇を書かれて会長賞(最優秀賞)に輝かれた菊地雪渓氏から、作品に込めた思いを記した文書を頂き、それを踏まえてもう一度拝見しようと思ったのですが、古書会館さんで時間を使いすぎました。



書家の方々はこういう苦労をなさっているのだな、と、新鮮でした。
できれば来年の連翹忌にて、展示させていただき、皆様にも見ていただきたいものです。
こちらは明日まで。ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
総じてブルデルの芸術の底流をなすものは深い詩的精神の横溢であり、事実彼は自ら詩筆を執つてゐる。むしろ古風な格調を尚んで荘重の趣あるその詩篇を自らゴチツク風の文字で揮灑したのを読むのは、まるで彼の地下窖からほのかに漏れる錬金の硫煙をかぐ思がする。
散文「清水多嘉示著「巨匠ブルデル」序」より
昭和19年(1944) 光太郎62歳
昭和19年(1944) 光太郎62歳
ロダンの後継者たる彫刻家ブールデルの評伝に寄せた一文から。
このブールデルへの評は、現代の光太郎自身への評と置き換えても成り立つような気がします。まさに昨日、光太郎の書の数々を手に取ってみて、改めてそう思います。