雑誌系、いろいろ届いております。
昨年刊行された隔月刊の『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さん、第8号。花巻高村光太郎記念館さんの協力で、毎号、「光太郎レシピ」というページが設けられています。太田村在住時の日記、周辺人物の回想などから、光太郎の食卓を再現する試みで、好評を博しているとのこと。今号は「アカシアの天ぷらとアカシアはちみつ入りヨーグルト」。なんともお洒落ですね。
続いて『月刊絵手紙』さん、2018年7月号。こちらも花巻高村光太郎記念館さんの協力で、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。
今号は、詩「山菜ミヅ」(昭和22年=1947)。過日行われた花巻高村光太郎記念館講座「光太郎の食卓と星降る里山を楽しむ」でも取り上げられた、光太郎がことのほか好んだ山菜を謳った詩です。
光太郎の書いたミヅのスケッチに活字版で詩の全文を添え、さらに見開き2ページで光太郎の詩稿を載せて下さいました。おそらく初出発表誌の『婦人公論』に送られたものと推定されます。
もう1冊。静岡県の伊東市で刊行されている年刊の同人誌『総合文芸誌 岩漿』さん。詩や小説で、250ページ超の立派なものです。主宰の方が、光太郎とも交流のあった詩人・前田鉄之助に師事されたそうで、さらに光太郎を心の師として詩作に励んでこられたとのこと。で、当方が座談会の司会を務めさせていただいた今年の花巻高村祭においで下さったそうです。
その直後に、昨年刊行された第25号を送って下さいました。そちらの「編集後記」で光太郎に触れて下さっていましたが、1年前のものなのでこのブログではご紹介しませんでしたが、このほど今月刊行された第26号が届きました。こちらでも「編集後記」で光太郎に触れて下さっています。
光太郎、というより、昨年亡くなった大岡信氏に関してがメインですが、ありがたく存じます。やはり静岡の文芸同人誌ということで、三島出身の大岡氏を取り上げられたのでしょう。
今後とも、さまざまなメディアに光太郎が取り上げられることを願ってやみません。
【折々のことば・光太郎】
高田君が粘土をいじる巧みさは、これも不思議である。同君の手は料理人のいふ「ウマ手」に属する短い、太い、切つたやうな指を持つてゐる手であつて、一寸考へると、あの指がどうしてこんな繊細な技術に堪へるのかと思ふほどであるが、それがまつたく万能の指なのである。
散文「高田君の彫刻」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳
「高田君」は、高田博厚。17歳年長の光太郎と知遇を得、彫刻の道を志し、光太郎等の援助で昭和6年(1931)に渡仏、以後、30年近くをパリで過ごしました。早世した荻原守衛を除けば、光太郎が最も高く評価していた同時代の彫刻家です。
それに応え、高田は光太郎の歿後に帰国してからは、光太郎の胸像を製作したり、高村光太郎賞の選考委員を務めたりと、光太郎顕彰の先鞭をつけてもくれました。
「ウマ手」に関しては、他の散文に詳しく記述がありますので、またのちほどご紹介します。