註文しておいた雑誌が届きました。  

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いわゆるタウン誌とも少し違い、「大切に守り伝えたい「いいもの・いい心」を 広島から発信する“生活文化情報誌”」と謳っています。季刊でA4判112ページとなかなかのボリュームです。主に広島県内の観光地、イベント、店舗、扱われている特色ある商品などの紹介ですが、隣接県の情報も。今号は島根県の江の川が大きく取り上げられています。

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で、広島方面とは直接の関係は無いのですが、カラーアナリスト・児玉紀子さんの連載(と思われます)「色を読む」という稿で、智恵子と光太郎をメインに扱って下さっています。題して「智恵子抄 高村光太郎」。

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主に終焉の地となったゼームス坂病院で智恵子が制作した「紙絵」についての内容で、色彩の専門家らしく、こう評されています。

闘病の苦しみの中でも、魂の中に満ち満ちていた万物の美しい色彩を、智恵子は童女のような澄んだ心になってはじめて作品の中に解き放った。その造形、色の組み合わせや重ね方、切ないくらい穏やかで優しいたくさんの紙絵を残し、智恵子はあまりにも激しく純粋に生きた人生を閉じる。

すばらしい讃辞をありがとうございます。光太郎智恵子に成り代わりまして、御礼申し上げます。

実際、智恵子の紙絵に表された造形感覚、色彩のセンスなどは、まさしく超凡。一度、千駄木の髙村家で、何枚かの現物を手に取って拝見させていただきましたが、超凡かつ「あえかな」作品の数々に、涙が出そうでした。

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さて、「智恵子の紙絵」というと、花々をモチーフにしたものが多く含まれます。そして「智恵子」→「花」とくれば、「グロキシニア」。明治45年(1912)6月、駒込林町25番地に、後に二人の愛の巣となる光太郎のアトリエが竣工した際、智恵子がお祝いに鉢植えで持参した花です。

そのうち私は現在のアトリエを父に建ててもらふ事になり、明治四十五年には出来上つて、一人で移り住んだ。彼女はお祝にグロキシニヤの大鉢を持つて此処へ訪ねて来た。(散文「智恵子の半生」 昭和15年=1940)

寄席で、大川端で/そして/ミステリアスな南米の花/グロキシニアの花弁の奥で/薄紫の踊り子が、楽屋(フオワイエエ)の入口で/さう、さう/流行(はやり)の小唄をうたひながら/夕方、雷門のレストオランで/怖い女将(おかみ)の眼をぬすんで/待つてゐる、マドモワゼルが/待つてゐる、私を―― (詩「あをい雨」 明治45年=1912)

私は淋しい かなしい/何といふ気はないけれど/ちやうどあなたの下すつた/あのグロキシニアの/大きな花の腐つてゆくのを見る様な/私を棄てて腐つてゆくのを見る様な/空を旅してゆく鳥の/ゆくへをぢつとみてゐる様な/浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ (詩「人に」 大正元年=1912)

雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く/枕頭(ちんとう)のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く (詩「亡き人に」 昭和14年=1939)

先週、わが家のグロキシニアが花を咲かせました。

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一昨年の秋、智恵子を偲ぶ第22回レモン忌の際に、お土産として会場に飾られていて、いただいて帰ったものです。あまり花屋さんなどで見かけない花なので、栽培が難しいのかと思いきや、ほっぽらかしていても元気です。

ただ、一度、悪い奴の手にかかり、葉や茎がむしられて、枯れかけました。犯人(人ではありませんが)はこいつです。

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ちょっと目を離すと、猫草がわりに鉢やプランターの植物を、囓る囓る(笑)。グロキシニアもあやうく丸坊主にされかかりました。

そこで、どんどん囓っていいよ、ということで与えたのがこちら。

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ラディッシュの鉢植えです。こちらは囓られても囓られても新しい葉を出しますので。

閑話休題。『Grande ひろしま Vol.21(2018年夏号)』、版元サイトから購入ページにリンクされています。是非お買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

パリにはロダンが現に居て、会場などでは時々見かけたが、そのアトリエを訪問する勇気はなかつた。むやみと人を訪問して、仕事の邪魔をする無作法と厚かましさとは私が父や祖父から固く戒められてゐた事である。あつかましいといふ言葉ほど江戸伝来の家系にとつて卑しまれたものはないのである。
散文「ロダンの手記談話録」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

光太郎がロダンを訪問しなかったのは、厚かましさを嫌ったのみではなく、まだ何者でもない画学生に過ぎなかった気後れもあったのではと思われます。それにしても、「むやみと人を訪問して、仕事の邪魔をする無作法と厚かましさ」を厭う美徳、「電話」と言い換えてもいいような気もします。自宅兼事務所の固定電話にかかってくる電話の半分以上はわけのわからないセールスです。あるいはあわよくば金をせしめようとする特殊詐欺も含まれているのかも知れません。