昨日に引き続き、日本絵手紙協会さん発行の『月刊絵手紙』の2018年6月号から。「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載で、今号のサブタイトルは「光太郎が送った夏のたより」。全体の特集テーマが「さあ、暑中見舞いを送りましょう」ということで、光太郎に関しても、光太郎がさまざまな人物に送った夏の手紙が紹介されています。

昨日はグラビア的に画像入りで紹介されている佐藤隆房医師宛の昭和27年(1952)のはがきを取り上げましたが、続く見開き2ページで、大正期から戦後までの7通が引用されています。

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まず、大正12年(1923)8月15日、四国在住の龍田秀吉という人物仁送ったはがき。

遠い町からのお便りは此処のアトリエに海の風のやうなものをもつて来ました。私は家の中で海水着を着て裸体生活をしてゐます。今年の夏は割に弱らない方ですがそれでも頭が半分になつたやうです。ご健康をいのりながら。

海水着」は現代の海パンのようなものなのでしょうか? 想像すると笑えます。


続いて、同15年(1926)7月20日、親友だった作家の水野葉舟に宛てて。

昨夜は一足ちがひにお素麺がお宅から届いた。それで僕だけ喰べた。おつゆが大層うまかつた。昨日天ぷら揚物を此頃に喰べさせてもらひにゆく事を申出たが考へてみて取消す。この暑さに汗を流しながら天ぷらをくふのもやり切れない。むしろ僕は一人で生瓜をかぢる。〈(君が支度するといけないと思つて一筆)〉

相手が親友だけに、ある種ぶっきらぼうな文面ですが、それだけによそ行きでない親愛の情が表れています。


昭和に入って、昭和2年(1927)7月19日、宛先はアナキズム系詩人の小森盛です。

上州白根の方を少し歩いて草津其他の湯に浴して来ました。お葉書をありがたう。この暑い中の働きを想像します。私は夏に極めて弱い白熊のやうな質ですが、今年は山歩きのおかげで夏にまけずに働けさうです。先月末少しからだを痛めた為、又八月号の「大調和」には原稿を休みました。今東京はしう雨気味で涼風が吹きさわぎます。

この年、記述されているとおり、群馬の草津温泉や、長野の別所温泉、さらに智恵子を伴って箱根にも行きました。ずばり「大涌谷」、「草津」という題名の詩も書いています。


再び水野葉舟宛。同14年(1939)7月10日。

おたよりと桃一箱昨日頂戴、まことに忝く存じました、今年はお盆にも別に何もいたしませんが、智恵子が好きだつた桃を見て感慨に堪へません、早速智恵子に供へました、まだ小生智恵子が死に去つたといふやうな気がしません、この桃も一緒にたべるやうな気がします、

前年10月に智恵子が歿し、新盆の夏です。


さらに同16年(1941)7月20日、詩人の宮崎稔に宛てたはがき。

昨日は山百合の花たくさんお届け下され御厚志まことにありがたく存じました、早速父と智恵子との写真に供へましたが殆と部屋一ぱいにひろがり、実に壮観をきはめ、家の中に芳香みなぎり、山野の気満ちて、近頃これほど爽快に思つた事はありません、智恵子は殊に百合花が好きなので大喜びでせう。厚く御礼申上げます。尚近く詩集「智恵子抄」を龍星閣から出版しますがお送りします故註文なさらぬやうに願ひます。

ユリの花、亡き智恵子が「好きだったので」ではなく、「好きなので」と現在形になっています。無意識にそうしたのでしょうが、気になる一言です。「殆と」は、通常、「ほとんど」と発音し、「ど」と送りがなを付けるべきですが、光太郎、この葉書以外にもほぼ全ての文筆作品で、「殆と」と書いています。旧仮名遣いで濁点をつけない場合の延長なのか(「手紙」を「テカミ」と書く場合がありました)、北関東から東北にかけての方言で「ほどんと」と発音する(おそらく智恵子はそうだったでしょう)のが伝染したのか、何とも言えません。


そして戦後、同22年(1947)7月20日、花巻郊外太田村の山小屋から、截金師の西出大三へ。

おてがミ忝く拝見、尚小包にて雑誌「天来」其他書物も落手、御芳志ありがたく御礼申上げます。早速分教場の棚備供へつけます。山中も猛暑となり、作物急に成長しはじめました。今日は遠雷の音をきき、夕立に恵まれるかと期待して居ります。夏の日と夏の雨とは植物成長に無二の天恵、自然の摂理を感嘆します。今年のジヤガイモと南瓜の成績はどうなるかと思つてゐます。

最後に、当時、少女だった令姪の高村美津枝さん(ご存命)にあてた、同年8月28日付。

八月廿六日のおてがみ今日来ました。お庭の作物のことおもしろくよみました。それではこちらの畑につくつてゐるものを書きならべてみませう。大豆、人参、アヅキ、ジヤガイモ(紅丸とスノーフレイク)、ネギ、玉ネギ、南瓜(四種類)、西瓜(ヤマト)、ナス(三種類)、キヤベツ、メキヤベツ、トマト(赤と黄)、キウリ(節成、長)、唐ガラシ、ピーマン、小松菜、キサラギ菜、セリフオン、パーセリ、ニラ、ニンニク、トウモロコシ、白菜、チサ、砂糖大根、ゴマ、ヱン豆、インギン、蕪、十六ササギ、ハウレン草、大根、(ネリマ、ミノワセ、シヨウゴヰン、ハウレウ、青首)など、以上の様です。十一月に林檎の木を植ヱます。

「農」の人となっていることがよくわかります。「チサ」はレタス、「インギン」は「インゲン」の誤りかとも思いましたが、別の野菜のようです。当方、南瓜が4種類、ナスも3種類あるなどとは存じませんでした。


書き写してみて改めて思いました。当方、雑誌、書籍などの受贈の礼状として、絵葉書(絵手紙ではなく)等を使うことが多くありますが、ここまで味のある文章は添えていません。まして日々の事務的連絡等で多用するメールの類では、尚更です。が、少しは光太郎を見習って行こうと反省いたしました。


さて、『月刊絵手紙』さん、日本絵手紙協会さんサイトからの注文となります。1年間で8,700円(税・送料込)。お申し込みはこちらから。


【折々のことば・光太郎】

美こそ彼をささへてゐた唯一のものであり、彼にとつて一切は美の次元から照射されてはじめて腑甲斐あるものとなつた。

散文「(わたしはさきごろ)」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

おそらく発表されずお蔵入りとなったミケランジェロに関する断片的な散文の一節です。題名は付されておらず、『高村光太郎全集』では便宜的に書き出しの一句を題名としています。

晩年にさしかかり、自らの来し方も「美」に捧げた一生だったという感懐が見て取れます。