東京上野の東京藝術大学大学美術館さんで、昨日始まった企画展です。
NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」
期 日 : 2018年5月26日(土)~7月16日(月・祝)会 場 : 東京藝術大学大学美術館 東京都台東区上野公園12-8
時 間 : 午前10時~午後5時
料 金 : 一般1,500円(1,200円) 高校・大学生1000円(700円) 中学生以下無料
※ ( )は20名以上の団体料金
※ ( )は20名以上の団体料金
休館日 : 月曜日(※ 7月16日(月・祝)は開館)
明治維新から150年、2018年の大河ドラマの主人公は西郷隆盛です。
薩摩(鹿児島)の一介の下級武士から身を起こし、明治維新を成し遂げた西郷隆盛。しかし、この稀代の英雄には、肖像写真が一枚も残っておらず、その生 涯は多くの謎に包まれています。本展覧会は大河ドラマと連動しながら、西郷隆盛ゆかりの歴史資料や美術品などによって、「西郷どん」の人物像と激動の時代を 浮き彫りにします。
西郷の風貌を最も忠実に伝えるとされる肖像画や、座右の銘を記した書「敬天愛人」。西郷がその婚礼に尽力した篤姫が所有していた華麗な調度品には多くの 展覧会初公開品が含まれます。また幕府瓦解のきっかけとなった幕末の最重要史料「討幕の密勅」も登場。そして、あの有名な銅像「上野の西郷さん」の制作過程 を物語る新出写真まで、西郷隆盛の魅力のすべてを味わいつくす展覧会です。
薩摩(鹿児島)の一介の下級武士から身を起こし、明治維新を成し遂げた西郷隆盛。しかし、この稀代の英雄には、肖像写真が一枚も残っておらず、その生 涯は多くの謎に包まれています。本展覧会は大河ドラマと連動しながら、西郷隆盛ゆかりの歴史資料や美術品などによって、「西郷どん」の人物像と激動の時代を 浮き彫りにします。
西郷の風貌を最も忠実に伝えるとされる肖像画や、座右の銘を記した書「敬天愛人」。西郷がその婚礼に尽力した篤姫が所有していた華麗な調度品には多くの 展覧会初公開品が含まれます。また幕府瓦解のきっかけとなった幕末の最重要史料「討幕の密勅」も登場。そして、あの有名な銅像「上野の西郷さん」の制作過程 を物語る新出写真まで、西郷隆盛の魅力のすべてを味わいつくす展覧会です。
報道がなされています。
まず、『東京新聞』さん。
顔がない!上野西郷像 制作過程写真、初公開
台東区・上野の東京芸大大学美術館で二十六日から始まるNHK大河ドラマ特別展「西郷どん」で、上野公園にある西郷隆盛像の制作過程の写真が初公開される。「顔が彫られておらず、肖像写真を残さなかった西郷の顔を表現するのに、苦労した様子がうかがわれる」と同美術館の黒川広子教授(近代工芸史)は話している。 西郷像は東京美術学校(東京芸大の前身)の教授だった高村光雲が率いるチームが制作。肖像写真がないため、隆盛の実弟従道の顔写真や隆盛が着用した陸軍大将の軍服、肖像画などを参考にした。
初公開の写真は、銅像の基にする木像を制作する過程で、犬を連れた和服姿の西郷隆盛像を正面から撮影。西郷と犬の顔がまだ彫られていなかった。左上部に、紙幣や郵便切手の図案制作などに携わったイタリア人銅版画家のキヨッソーネが描いた西郷の顔の絵もはめ込まれていた。
黒川教授は「写真の使用目的は不明だが、西郷をよく知る人に印象を語ってもらうため、あるいは、制作の進捗(しんちょく)状況について資金を提供した関係者に報告するために、使ったのではないか」と推測する。
写真は六月十七日まで公開される。
続いて『毎日新聞』さん。
上野西郷どん “のっぺらぼう”の西郷像の写真初公開 東京・上野で特別展
俳優の鈴木亮平さんが主演を務めるNHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」の展覧会「NHK大河ドラマ特別展『西郷どん』」が東京・上野の東京芸術大学大学美術館で26日から開催される。「上野の西郷さん」の愛称で親しまれている西郷像の制作過程を示す古写真を初公開。写真は、木形制作の段階で西郷と犬の顔面が“のっぺらぼう”になっており、肖像写真を残さなかった英雄の面貌(めんぼう)をどう表現するのか、彫刻家の高村光雲率いる制作チームの苦労を今に伝える貴重な一枚になっている。 同展はドラマと連動しながら、主人公の西郷隆盛ゆかりの歴史資料や美術品などにより、その人物像と激動の時代を浮き彫りにする。西郷の風貌を最も忠実に伝えるとされる肖像画や、座右の銘を記した書「敬天愛人」、西郷がその婚礼に尽力した篤姫が所有していた華麗な調度品など展示する。
また幕府瓦解(がかい)のきっかけとなった幕末の最重要史料「討幕の密勅」も展示。犬好きの西郷が地元・鹿児島の住民から「白い犬ユキを借り受ける代わりに渡した」という逸話が残る刀装具も初公開される。
開館時間は午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)。毎週月曜は休館。料金は、一般1500円、大学・高校生1000円。会期は7月16日まで。
「西郷どん」は、明治維新から150年となる2018年に放送される57作目の大河ドラマ。薩摩の貧しい下級武士の家に生まれた西郷隆盛(吉之助)の愚直な姿に、カリスマ藩主・島津斉彬が目を留め、西郷は斉彬の密命を担い、江戸へ京都へと奔走。勝海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、革命家へと覚醒し、やがて明治維新を成し遂げていく……という内容。NHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。
NHKさんの首都圏ニュースでも。
「のっぺらぼう」の西郷像の写真
明治時代、東京・上野に西郷隆盛の像を作る過程で写された、顔が彫られていない「のっぺらぼう」の状態の木型の写真が残されていることがわかり、調査に当たった専門家は「顔写真が1枚もないなかで、顔の制作に苦労したことがわかる」と話しています。この写真は、東京藝術大学大学美術館で10年ほど前に見つかり、その後、調査が進められてきました。
縦16.5センチ、横10.5センチの紙に焼かれた写真には、東京・上野にある犬を連れた西郷隆盛の銅像とほぼ同じ姿の木型が写されていますが、西郷も犬も顔が彫られておらず、「のっぺらぼう」の状態になっています。
また、写真の左上には西郷の肖像画が付け加えられています。
調査に当たった東京藝術大学の薩摩雅登教授によりますと、上野の西郷像は大学の前身に当たる東京美術学校が制作を進め、今回の写真は、銅像を作る前に試作した木型の途中の状態を写したと考えられるということです。
銅像が完成したのは、明治10年の西南戦争で西郷が自害してから20年以上がたった明治31年で、薩摩教授は「西郷の死後、しばらくたっているうえに顔写真が1枚もない。肖像画から横顔などを想像して立体にするのはさぞかし大変だったと思う。写真からは顔の制作に苦労したことがわかる」と話しています。
この写真は、東京藝術大学大学美術館で26日から開かれる、大河ドラマ「西郷どん」の特別展で初めて公開されます。
縦16.5センチ、横10.5センチの紙に焼かれた写真には、東京・上野にある犬を連れた西郷隆盛の銅像とほぼ同じ姿の木型が写されていますが、西郷も犬も顔が彫られておらず、「のっぺらぼう」の状態になっています。
また、写真の左上には西郷の肖像画が付け加えられています。
調査に当たった東京藝術大学の薩摩雅登教授によりますと、上野の西郷像は大学の前身に当たる東京美術学校が制作を進め、今回の写真は、銅像を作る前に試作した木型の途中の状態を写したと考えられるということです。
銅像が完成したのは、明治10年の西南戦争で西郷が自害してから20年以上がたった明治31年で、薩摩教授は「西郷の死後、しばらくたっているうえに顔写真が1枚もない。肖像画から横顔などを想像して立体にするのはさぞかし大変だったと思う。写真からは顔の制作に苦労したことがわかる」と話しています。
この写真は、東京藝術大学大学美術館で26日から開かれる、大河ドラマ「西郷どん」の特別展で初めて公開されます。
上野の西郷隆盛像は、明治31年に完成したあと、120年にわたって上野のシンボルとして親しまれていますが、制作は大きな困難を伴いました。
東京藝術大学の薩摩雅登教授によりますと、西郷隆盛は明治10年の西南戦争で自害し政府から反逆者とされていましたが、市民の間で人気が根強く続いていたことから明治22年に大日本帝国憲法の発布にあわせて名誉回復が図られ、東京に銅像が作られることになりました。
当初は馬に乗った軍服姿の予定でしたが、予算が足りなかったことや、西郷のいとこの大山巌の進言などによって、浴衣姿になったということです。
制作には、高村光太郎の父親で日本を代表する彫刻家の高村光雲などが参加し、東京美術学校が総力を挙げて取り組みましたが、資料が乏しかったことから難航したと言います。
特に苦心したのは顔の制作で、写真が1枚も残されていないなか、イタリアの画家キヨッソーネが描いた肖像画や、弟の西郷従道や大山巌の顔、それに西郷をよく知る人物の話を基に進められたということです。
高村光雲は当時の新聞に、西郷と面識がなく肖像画しか残されていないなかで、顔を立体で表現する難しさについて語っています。
銅像はこうした苦労の末に完成しましたが、除幕式で西郷の妻がその姿に不満を持ったというエピソードも残されています。
東京藝術大学の薩摩雅登教授によりますと、西郷隆盛は明治10年の西南戦争で自害し政府から反逆者とされていましたが、市民の間で人気が根強く続いていたことから明治22年に大日本帝国憲法の発布にあわせて名誉回復が図られ、東京に銅像が作られることになりました。
当初は馬に乗った軍服姿の予定でしたが、予算が足りなかったことや、西郷のいとこの大山巌の進言などによって、浴衣姿になったということです。
制作には、高村光太郎の父親で日本を代表する彫刻家の高村光雲などが参加し、東京美術学校が総力を挙げて取り組みましたが、資料が乏しかったことから難航したと言います。
特に苦心したのは顔の制作で、写真が1枚も残されていないなか、イタリアの画家キヨッソーネが描いた肖像画や、弟の西郷従道や大山巌の顔、それに西郷をよく知る人物の話を基に進められたということです。
高村光雲は当時の新聞に、西郷と面識がなく肖像画しか残されていないなかで、顔を立体で表現する難しさについて語っています。
銅像はこうした苦労の末に完成しましたが、除幕式で西郷の妻がその姿に不満を持ったというエピソードも残されています。
早速、拝見に行って参りました。
報道では「のっぺらぼう写真」の件が大きく扱われていますが、そちらは展示の
最後の最後。そこにたどり着くまで、西郷本人をはじめ、島津家の人々、大久保利通、天璋院篤姫ら、また、「敵側」だった彰義隊や新選組(当方、心情的にはこちらの側です)に関する資料などが実に豊富に展示されていました。展示リストはこちら。
ちなみに最近流行の音声ガイドは、「西郷どん」で大久保利通役の瑛太さん。しかし、展示自体はあまりドラマを前面に押し出さない、「真面目な」ものでした。
問題の写真は下記左。こういうものが残っていたというのには驚きでした。ミュージアムショップで、ほぼ原寸大と思われるポストカードになって販売されていました。
展示の解説パネル、それから図録(上記右画像)の解説文には、像制作時の光雲の苦心談が、明治32年(1899)の『中央新聞』に掲載されていると書かれていました。昭和9年(1934)の『小樽新聞』に載った苦心談は存じていましたが、『中央新聞』の記事は未確認で、調べてみようと思いました。
また、ミュージアムショップでは、西郷像を描いた錦絵をあしらったクリアファイルも販売していましたので、ゲットしました。2種類あり、A4三つ折りになっている豪華なものと、「チケットホルダー」なる細長い小型のもの。
それぞれ勿体なくて実用は出来ません(笑)。
「のっぺらぼう」写真は6/17(日)までの展示。さらに東京展のあと、7月28日(土)~9月17日(月)で大阪展(大阪歴史博物館さん)、9月27日(木)~11月18日(日)には鹿児島展(鹿児島県歴史資料センター黎明館さん)も予定されています。それぞれ、また近くなりましたらご紹介いたします。
【折々のことば・光太郎】
ミケランジエロこそ造型の権化である。造型の中の造型たる彫刻は、従つてミケランジエロの生来を語るものであり、ミケランジエロの他の営為――土木、建築、絵画、詩歌の類はすべて彼の彫刻家的幽暗の根源から出てゐる。
散文「ミケランジエロの彫刻写真に題す」より
昭和16年(1941) 光太郎59歳
昭和16年(1941) 光太郎59歳
自身も彫刻以外に、詩歌、絵画、書、建築、装幀、評論、翻訳など、実に様々な分野に大きな足跡を残しながら、やはり彫刻を第一考えていた光太郎。そうした部分では大先輩ミケランジェロを範としていたと思われます。