このところ、このブログでご紹介すべき事項が多く、後手後手に回っております。特に新刊書籍等の情報は後回しになりがちで、面目なく思う次第です。

そんなわけで、雑誌の新刊です。 

『短歌研究』 5月号

2018年4月21日 短歌研究社 定価1,000円+税

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短期リレー連載 明星研究会「口語自由詩と『明星』」 第1回 松平盟子 高村光太郎――独自に開いた口語自由詩のフィールド」という記事が掲載されています。昨秋、日比谷公園内の千代田区立日比谷図書文化館さんで開催された、明星研究会さん主催の「第11回 明星研究会 <シンポジウム> 口語自由詩の衝撃と「明星」~晶子・杢太郎・白秋・朔太郎・光太郎」での第二部シンポジウム「口語自由詩に直撃! 彼らは詩歌の激流にどう漕ぎ出したか」のうち、歌人・松平盟子氏による光太郎の部の筆録です。

先月号では、同じ明星研究会での、第一部の講演「再録 明星研究会講演 松平盟子『みだれ髪』を超えて~晶子と口語自由詩~」筆録が掲載されています。

今月号は、光太郎の、というより、光太郎と与謝野晶子のからみ、お互いの、特に晶子の自由詩作品に見られる光太郎詩の影響、といった内容で、非常に興味深いものです。

ぜひお買い求めを。


ちなみに松平氏、来週18日(金)、当方とのユニットで、朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾千葉教室さんでの講座「愛の詩集<智恵子抄>を読む」の講師を務められます。なかなか受講者が集まらないようで、まだ余裕があるそうです。リンクご参照の上、お申し込み下さい。

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公開講座といえば、こんな講座の情報を得ました。 
会  場 : 和の器 韋駄天地下ギャラリー 東京都台東区谷中5-2-24 03-3828-1939
時  間 : [篆刻]11:00-13:30 [書]15:00-17:30
料  金 : 6,000円(材料費込)
講  師 : 華雪(書家)


【篆刻講座|「わたし」の判子】
方寸の芸術とも称される篆刻。宋代以降、人々はここに”わたしの中の「わたし」”を求めるようになっていきました。自分自身に新たな名――雅号(ペンネーム)を与え、”わたしの中の「わたし」”の名前を石に刻む。空想した書斎の名を石に刻み、そこで過ごす”わたしの中の「わたし」”に思いを巡らし、詩を詠む。そうした”わたしの中の「わたし」”は、あるひとにとっては苛烈な現実を生きるための糧であったのかもしれません。
あるひとにとっては”わたしの中の「わたし」”のあり方を通じて自らをよりよく知ろうとする術であったのかもしれません。
今期の篆刻講座では、そうした自分の中の”わたしの中の「わたし」”をイメージし、名前の判子をつくります。太い線・細い線・かたい線・しなやかな線……篆刻特有の意匠を学ぶことを通じて、毎回異なる様々な「わたし」の判子をつくります。

【書の講座|ひとりの人の眼を通して見る書の見方】
東洋における文字の歴史は、およそ3300年前の古代中国で発生した甲骨文字に遡ります。文字は、長い時間の中で、ひとびとの間で使用され、徐々にその書き方は研ぎすまされ、一定の型を得てゆきました。そしてより速く便利に書くという自然の条件に従い、唐代初頭には篆書・隷書・楷書・行書・草書の書体が確立しました。書体が完成した唐代以降は、それら基本の型をよりうつくしく書くという希求がひとびとの中に芽生え、それが書という文字芸術を生み出していきます。ただ、うつくしさ、というのは時代によって移ろいます。今期は、書の歴史における古典と呼ばれる書と、それを後の時代に真似て、学んだひとの書とを比較し、ひとりの人が、どのように古典を見ていたのかを、うつくしさをどのように消化しようとしたのか、ふたつの書を摸写することを通して学びます。そこから、様々な時代、様々なひとにおける書の見方を知り、自らの書を見る眼を育みます。

篆刻と臨書の2本立てだそうです。書の講座は、全6回で今回が5回目。これまでに「石鼓文と呉昌碩」、「太宗皇帝と王羲之」、「八大山人と王羲之」、「光明皇后と王羲之」というお題でなされてきており、今回が「高村光太郎と黄庭堅」、次回は「白井晟一と顔真卿」だそうです。

黄庭堅は、中国北宋の進士。山谷と号して草書をよくし、宋の四大家の一人に数えられています。光太郎は庭堅の書を好み、最晩年には中野のアトリエの壁にその書、「伏波神祠詩巻」の複製を貼り付け、毎日眺めていました。昭和30年(1955)には、平凡社刊『書道全集 第七巻 中国・隋、唐Ⅰ』の月報に「黄山谷について」を発表、その魅力を語っています。



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画像はともに書帖を見る最晩年の光太郎です。

さて、講座の方は定員6名だそうで、もう埋まってしまっているかもしれませんが、ご興味のある方、リンクをご参照の上、お申し込み下さい。


【折々のことば・光太郎】

たとひ菊の花一輪の絵画でも人を廃頽への傾きから呼び返す力は持ち得る。人の心を貫く美はさういふ力を必ず持つ。美に溺れて滅びた輩はその美とするところを誤つた者に過ぎない。上昇の美こそ美の本来であつて下降の美は美の変種である。

散文「戦時下の芸術家」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

いわゆる頽廃芸術を好まなかった光太郎の真髄が、こうしたところにも表れています。ただ、それが一種の精神主義、根性論と結びつき、戦時にはプロパガンダに使われていってしまうのですが……。