自由人の当方はあまりいつもと変わらないのですが、世間的にはゴールデンウィークだそうで、記事の題名を「GWレポート」とさせていただきます。特に深い意図はないのですが、これまでこの手のレポートの際には「都内レポート」「東北レポート」などと行った先の地名を使用することが多かったところ、そうした地方の枠を超えて動き回っておりますので、そうします。
まずは一昨日の日曜日、生活圏の千葉銚子。市街の飯沼山圓福寺(飯沼観音)さんの本堂で開催された「仏と鬼と銚子の風景 土屋金司 版画と明かり展」、それから「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」を拝見して参りました。
土屋氏は、銚子や、当方自宅兼事務所のある香取市に隣接する旭市ご在住の版画家です。
たまたま今月、当方趣味の音楽活動の関係で、旭市の東総文化会館さんに行きましたところ、大ホールの巨大な緞帳のデザインも、土屋氏の版画でした。


それから、当方自宅兼事務所のある香取市での個展もなさっています。会場は旧市街の与倉屋大土蔵。光太郎詩「雨に打たるるカテドラル」が使われた映画「FOUJITA]などのロケにも使われている、土蔵としてはおそらく日本一の大きさであろうという土蔵です。


全国を飛び回っている当方ですが、逆に地元の情報に疎い部分があり、土屋氏の作品、ちゃんと拝見するのは今回が初めてでした。



会場の飯沼観音さん。中央が本堂で、階段の下に入り口があり、そこから入ります。


いきなり「犬吠の太郎」がお出迎え。
太郎は本名・阿部清助。光太郎詩「犬吠の太郎」のモデルとして有名になりました。大正元年(1912)、銚子の犬吠埼を訪れた光太郎智恵子が逗留していた暁鶏館(現・ぎょうけい館)で下働きをしていた人物です。旧会津藩士の子だというのですが、銚子の長崎地区出身という説と、銚子を訪れた曲馬団にくっついて来て銚子に定住するようになったという説と、二通りあります。ちなみに長崎地区には太郎の墓が現存しています。
お寺さんでの開催ということで、仏画的なモチーフが多かったのですが(ちなみに土屋氏、元は仏師志望だったそうです)、太郎系、それからやはり犬吠を訪れ、「宵待草」を詠んだた竹久夢二系で、犬吠などの風景を取り上げたものも多くありました。






黒いのは、版木です。こちら、おそらく、ぎょうけい館さんにも飾られていたと記憶しています。



最近、取り入れられたそうですが、刷った後に紙をくしゃくしゃにしてまた伸ばすという技法が使われているものも。すると不思議な陰影や立体感が生まれ、面白い試みだな、と思いました。
ちなみに版画展に関しては、先週、NHKさんのローカルニュースで取り上げられました。
復興の願いを作品に込め 版画家が展示会 千葉 銚子
東日本大震災による津波で、大きな被害が出た千葉県旭市に住む版画家が、復興への願いを込めて制作した作品などを集めた展示会が、隣の銚子市で始まりました。会場の銚子市にある飯沼観音の本堂には、旭市の版画家、土屋金司さん(63)の作品、およそ70点が展示されています。
旭市では、東日本大震災による津波で15人が犠牲になり、中には、復興への願いを込めて十一面観音や地蔵の姿を刷り上げた作品があります。
また、詩人の高村光太郎が銚子を訪れた際に作った詩、「犬吠の太郎」の一場面を表現し、びょうぶのように仕立てた作品も展示されています。
土屋さんは「震災で被災した人たちにも元気と癒やしを感じてもらえれば」と話していました。
展示会は29日まで開かれ、最終日には土屋さんの作品の前で、地元の人による「語り」の上演が行われることになっています。


旭市の飯岡地区では、東日本大震災の本震から3時間近く経った午後5時26分に津波が押し寄せ、15名の尊い命が犠牲となりました。その追悼、復興祈念も兼ねているとのことです。
版画展会場の一角で、「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」が行われますが、その会場の正面には六曲一隻というか、二曲三隻というか、大きな屏風。こちらも太郎系です。




力強い作品です。聞けば、最初に太郎をモチーフとされた35年ほど前の作品だそうです。女性は太郎が惚れていた曲馬団のヒロイン・お染さん。
さて、時間となりまして、「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」。

「銚子浪漫ぷろじぇくと」さんというのは、「銚子が保有する近代の文化的な遺産を掘り起こし、多くの人に銚子の魅力を知ってもらいたい」という思いで活動されている、地域おこしの団体さんのようです。

今回は、そちらに所属されている関根真弓さんという女性による一人芝居的な感じでした。知的障害があった太郎が、曲馬団の花形・お染に優しくされ、淡い恋心を抱きます。しかしお染は興行師と駆け落ちし、太郎は淋しく残されるというストーリーです。光太郎が詩「犬吠の太郎」を書いたことで、銚子では有名な話として語り継がれています。一人芝居でしたが、バックの効果音、バナナのたたき売りやサーカスの呼び込み、南京玉すだれなどの声は、銚子浪漫ぷろじぇくとのみなさん総出だそうです。
終演後の関根さんと、土屋氏。



公演の前後にそれぞれとお話をさせていただき、今後も光太郎を取り上げて下さいとお願いしておきましたが、実現してほしいものです。
【折々のことば・光太郎】
自分等の生活の時々刻々こそ貴い意味の流れである。自分等を通じてあらはれる至上のものの意志である。姿である。それが積もりつもつて個人としての一生、社会としての世紀がずつしり重く築かれるのである。
散文「日常の瑣事にいのちあれ」より 大正11年(1922) 光太郎40歳
津波被害により、貴い生活の時々刻々、日常の瑣事を奪われた方々に、謹んで哀悼の意を表します。