このところ、このブログでご紹介すべき事柄が多く、後手後手に回っています。全国の新聞等の一面コラムなどで、光太郎智恵子の名を上げて下さっているものが5件ほど溜まってしまいました。ネタの少ない時期でしたら無理矢理それ一つで1日分のブログ記事としていますが、新刊書籍等でも未紹介のものがありますし、週末にはまた遠出をしますので、そのレポートも書かねばなりません。そこで、一気に5件紹介します。

季語刻々 朝ぐもり窓より見れば梨の花002

 「晴、雨やみ、風をさまる。うす日もさす。温。朝食、むし飯、みそ汁(コブ、フキノタウ、もどしスルメ)、たくあん。茶」。1946年4月19日の光太郎の日記の冒頭部を写した。彼は今の岩手県花巻市郊外で1人暮らしをしていた。戦争を賛美した愚かな自分をその1人暮らしで処断したのだ。俳句はイタリア旅行中の1909年の作。
<坪内稔典>
(2018/04/19)

まずは『毎日新聞』さんの俳句コラム「季語刻々」。4月17日にも取り上げて下さいました。続けてのご紹介、ありがたいです。


続いて九州は『宮崎日日新聞』さんの一面コラム。 

くろしお 続けることの尊さ

 人手不足の県内企業にとって朗報だ。県立高校を卒業した生徒の県内就職率が57・4%と過去5年間で最高となった。生徒の志向に企業が情報発信で応えた成果といえよう。
 大事なのは長く勤めることだ。全国の平均だが、高卒就職者の3年後の定着率は6割弱。適性を考えて前向きな転職ならば仕方ないが、なるべく踏みとどまってほしい。春のゴールデンウイーク明けも五月病にならないように、仕事を続ける意義を考えていたい。
 亡くなった衣笠祥雄さんは手本だ。2215試合連続出場のプロ野球記録が輝かしい。死球で骨折しても出続けた。打者の実績はもちろん立派なのだが、ベンチにいつもいるという安心感だけでもチームへの貢献度は大きかったはずだ。
 「続けることに意味がある」とよく聞く。何でもできる人でも、行う対象を制限して腰を据えて努力を注入した方が大きな業績を上げるケースを実際に見聞することが多いからだろう。生き方は人それぞれだが衣笠さんの野球人生は継続の大事さを教えてくれる。
 「牛は非道をしない/牛はただ為(し)たい事をする/自然に為たくなる事をする/牛は判断をしない/けれども牛は正直だ/牛は為たくなって為た事に後悔をしない/牛の為た事は牛の自信を強くする」。高村光太郎の「牛」という詩から。
 一つの仕事に専念する尊さを牛の姿に託した。スピード感が重視される時代ではあるが、長い目で見れば牛歩でも確実に積み上げる仕事が評価される時が来る。そのためには健康が必要条件。それも衣笠さんが教えたプロの自己管理術だ。
(2018/04/26)

引用されている「牛」は、大正2年(1913)の作。全文で115行もある長大な詩です。光太郎は、自分を牛に例えることが時々ありました。戦後の昭和24年(1949)には「鈍牛の言葉」という詩も書いています。


次に、『日本経済新聞』さん。昨日の一面コラムです。 

春秋 

 「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ」。詩人の高村光太郎は生前の妻の言葉を「あどけない話」という作品にそう残している。東京で体を壊しては故郷の福島で調子を戻す。そんな彼女にとり、本当の空は故郷の山の上に広がる青空だった。
▼「空が無い」東京も、終戦直後は広々とした青空が覆っていた。東京・九段下の博物館「昭和館」で開催中の写真展「希望を追いかけて」で、改めて知った。焼け跡、バラックの家、平屋かせいぜい2階建ての商店街。永田町も渋谷も表参道も、空の青さとそこここに残る緑が印象的だ。撮影者は米国の鳥類学者だという。
▼同じ昭和館で「女学生たちの青春」という企画展も開催している。こちらは戦争中の写真が中心で、訓練で銃を構え、ガスマスクを付け、あるいは動員されて工場や畑で働く少女たちの緊張した面持ちが並ぶ。比べて見るせいか、戦後を生きる人々の顔は子供も大人も明るい。あけっ広げな街の空気が、それとよく似合う。
▼いま東京は何度目かの再開発ブーム。オフィスに商業施設に小ぎれいなビルが増え、空は狭くなるばかりだ。「一億総活躍」の旗のもと、そこで働く人たちの顔は輝いているだろうか。智恵子は最後に心のバランスを崩した。明日から連休。しばし喧噪(けんそう)を離れ、ふるさとで、近くの公園で、自分だけの青空を探すのもいい。

ちなみに当方明日から、智恵子の愛した「ほんとの空」の下を通過し、秋田・青森方面に行って参ります。


同じく昨日、『朝日新聞』さん夕刊のミニコラム「素粒子」。  

素粒子

 〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉。板門店での文在寅(ムンジェイン)、金正恩(キムジョンウン)両首脳の握手を見ていて、高村光太郎の詩「道程」が思い浮かんだ。
    ◎
 北朝鮮をいかに国際社会に結びつけるか。米中はじめ関係国の長い「道程」が始まる。
    ◎
 安倍政権も道普請役を果たせるかが問われる。心配なのは近い国ほど疎遠な現状だ。中国、韓国、そして北朝鮮。

ここで「道程」か、という感じでした(笑)。


ついでと言っては何ですが、物流、運送、ロジスティクス業界の業界紙『物流ウィークリー』さんでも、おそらく一面コラム的なところで「道程」を引いて下さっています。4月16日発行号です。 

射界

 先輩がつくった道を歩むのは楽で簡単だ。完成した道を忠実にたどればよいからである。そんな人に「何か新しいことをやれ」と指示しても、「前例がない」と反論するだろう。だが詩人の高村光太郎は「ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道はできる」と訴え、新しさに立ち向かう勇気を讃える。
  ▲時代がどんどん変化していく現在、十年一日のごとく前例踏襲の姿勢では、時流に取り残されて当然であろう。一昔前までは組織を安泰に維持するには「減点主義」がよいとの認識であった。指示された事柄を忠実にこなし、いささかのミスもないように仕上げるのがベストとされた。長い間受け継がれてきた習慣にならって過ごす…それを要諦としてきた。
 ▲しかし、時代の移り変わる速度は予想を超えて激しさを増す。そして「減点主義」では追い付かず、いよいよ「加点主義」の時代になった。いたずらに「前にならえ」の減点主義に固執していては色あせるばかり。この環境から抜け出て他人と異なる創造性を、いかに発揮できるかに価値判断の基準が進化し、「加点主義」台頭の動きが一段と活発化している。
 ▲人間の若さは、「創造の楽しみ」の多い少ないで決まると言った賢人がいるが、減点主義にはまって脱出できず、先人がつくった道を踏み外さぬ人に創造性を求めても夢でしかない。「自分の後ろに道をつくろう」という気概こそが若さである。前例のない道をつくり、歩む足どりは活気に満ちている。そこに求められるエネルギーは莫大だが感動もまた大きい。


それぞれに、光太郎智恵子に絡めて時候や時事問題を論じていますが、それぞれにさすがですね。


いつも書いていますが、光太郎智恵子の名が忘れ去られ、「道程」や「あどけない話」が引用されても、「何だ、これ?」ということにならないようであってほしいと、切に願います。


【折々のことば・光太郎】

恐らく、真に眼をさました女が満足して、十分に尊敬して手を取つてゆく男の人は稀れであらう。それは女に取つて随分不幸な事である。それだから日本のやうな思想の幼稚な国では、さういふ眼の醒めた女が独身に傾くのは已むを得ない。

談話筆記「女の生きて行く道」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

時事問題と言えば、非常に情けないセクハラ問題が連日、メディアを賑わしています。官庁トップのキャリア官僚が聴くに堪えない品性下劣なセクハラ発言をし、開き直り、監督責任のある大臣も事の重大さを解っていない現状。100年以上前に光太郎が「思想の幼稚な国」と断じ、女性の生きにくさを嘆いた、そのままに進歩していないのですね。