昨日は都内2箇所(というか3箇所というか)を廻っておりました。3回に分けてレポートします。

まずは新宿。都庁近くのヒルトン東京さんにあるヒルトピアアートスクエアで開催中の「『智恵子抄』に魅せられて そして~今~ 坂本富江個展」を拝見して参りました。

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会場前の看板的な。智恵子の故郷、福島二本松特産の上川崎和紙だそうです。

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早速、拝見。

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坂本さん、明治末に智恵子が学んだ太平洋画会の後身である太平洋美術会の会員であらせられますが、美大等で専門の美術教育を受けられたわけではありません。いい意味で、そういう部分でのアクの強くない素人っぽさが魅力の一つです。描く対象に真摯に向き合い、自己表現というよりは、対象の美しさを画面に込めようとしているのがよく分かります。

先日、山梨で開催されたご講演の際にも駆けつけられた、ノーベル生理学・医学賞ご受賞の大村智博士も初日にお見えだったそうで、さっそく売約の札が。

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油絵以外にも、ご著書『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』の原画も。その一角は、智恵子と二本松のコーナーのような感じにもなっていました。

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福島ご出身の方などが御覧になったら、喜ばれるのではないかと思いました。

「画廊での個展」というと、気取った堅苦しい感じに受け止められがちですが、坂本さんのお人柄がよく表れたアットホームな感じ、こういうと何ですが、ある意味、高校の文化祭のような、そんな肩の凝らない感じでした。

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これらは、山梨でのご講演の際、当方がパワーポイントのスライドショーを作成しまして、そのために送信されてきたデータです。これらの作品も展示されています。

会期は24日(火)まで。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

画家が或る対象に憑かれるといふ事は、その対象の等価体としての画面に憑かれることを意味する。しかし画面に憑かれたもの、必ずしも逆に或る対象に憑かれたものとは言ひ難い。自然の対象はいつも画面の等価を無視してゐるからである。画面にのみ憑かれた画家は程なく枯れる。

散文「庫田叕君の画を見て」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

画家はある対象を見て、それに感動してそれを描くものでしょう。しかし、いつの間にか主客が逆転し、描いている対象よりも、描かれた自己の作品に酔い、対象へのリスペクトが薄れ、アクの強い自己主張ばかりの作品となることが往々にしてあるよ、ということでしょうか。坂本さんの作品には、そういう過剰な自己愛的なものが感じられませんでした。

洋画家・庫田叕は、光太郎とも交流のあった『歴程』同人の詩人・馬渕美意子の夫でした。