草野心平
アトリエの屋根に雪が。
ししししししししふりつもり。
七尺五寸の智恵子さんの裸像がビニールをか
七尺五寸の智恵子さんの裸像がビニールをか
ぶつて淡い灯をうけ夜は更けます。
フラスコのなかであわだつ酸素。
《僕もそろそろ死に近づいているね》
フラスコのなかであわだつ酸素。
《僕もそろそろ死に近づいているね》
《アダリンを飲もう》
ガラス窓の曇りをこすると。
ガラス窓の曇りをこすると。
紺がすりの雪。
そしてもう。
それからあとは言葉はなかつた。
「智恵子の裸形をこの世にのこして。
わたくしはやがて天然の素中に帰ろう。」
裸像のわきのベッドから。
青い炎の棒になつて高村さんは。
天然の素中に帰つてゆかれた。
四月の雪の夜に。
しんしん冷たい April fool の雪の夜に。
そしてもう。
それからあとは言葉はなかつた。
「智恵子の裸形をこの世にのこして。
わたくしはやがて天然の素中に帰ろう。」
裸像のわきのベッドから。
青い炎の棒になつて高村さんは。
天然の素中に帰つてゆかれた。
四月の雪の夜に。
しんしん冷たい April fool の雪の夜に。
今日、4月2日は、光太郎忌日「連翹忌」です。
前日から季節外れの大雪に包まれていた62年前の昭和31年(1956)4月2日、午前3時45分、東京中野のアトリエで、不世出の巨人・高村光太郎は、宿痾の肺結核のため世を去りました。
上記は当会の祖・草野心平が、翌日の『朝日新聞』さんに寄せた詩です。揮毫は当会顧問・北川太一先生の所蔵で、5日に書かれたものです。冒頭の活字の部分は、昭和41年(1966)刊行の心平詩集『マンモスの牙』から採りました。したがって、揮毫と一致していない箇所があります。
さて、繰り返しご案内申し上げていますとおり、本日午后5時30分から、光太郎智恵子ゆかりの老舗西洋料理店・日比谷松本楼さんで、関係の方々にお集まりいただいての「第62回連翹忌」の集いを執り行います。
また、光太郎第二の故郷とも言うべき花巻でも、花巻としての連翹忌等が開催されます。そちらにご参会くださる方々にも、この場を借りて御礼申し上げます。
それぞれ盛会となる事を祈念いたします。