明日は光太郎62回目の命日ということで、第62回連翹忌の集いを、午後5時半から、光太郎智恵子ゆかりの老舗西洋料理店・日比谷松本楼さん2階で執り行います。
今年は新年度最初の月曜日ということで、土・日だった一昨年、昨年と比べると、大幅に参加者が落ち込むのではないかと危惧しておりました。たしかに減りましたが、大幅な減にはならず、例年に近い約70名の参加申し込みを賜り、胸をなで下ろしております。
高村家とその血縁の皆様、生前の光太郎をご存じの方々、出版・教育・美術館・文学館関係者、音楽や舞台芸術等で光太郎智恵子の世界を取り上げて下さっている皆さん、光太郎と交流のあった面々のゆかりの方々、そして当方もそうですが、単なる光太郎智恵子ファンも。
また、各地で光太郎智恵子顕彰等に取り組んで腐っている方々なども多数ご参加下さり、遠くは四国愛媛、大阪、青森十和田、岩手は盛岡と花巻、宮城で女川に仙台、さらに新潟や長野などからも駆けつけて下さいます。ありがたいかぎりです。
そうした皆様や、参加は出来ないけれどよろしく頼む
というような方々から、各種イベントのチラシやパンフレット、刊行物(高村光太郎研究会所属の西浦基氏はご著書『高村光太郎小考集』、碌山美術館さんより館報第38号、文治堂書店さんからはPR誌『トンボ』の第4号、第5号)などが参会者に配布されます。

そうした中で、当方編集の『光太郎資料』第49集もお配りします。元々は当会顧問の北川太一先生が昭和35年(1960)から平成5年(1993)にかけ、不定期に発行されていたもので、その名跡を譲り受けました。4月の連翹忌にかぶせて1回、10月の智恵子忌日・レモンの日に合わせて1回と、年2回刊行しております。
今号は、以下の内容です。
・ 「光太郎遺珠」から 第十三回 短歌をめぐって(二)
筑摩書房の『高村光太郎全集』完結(平成11年=1999)後、新たに見つかり続けている光太郎文筆作品類を、テーマ、時期別にまとめている中で、昭和期の短歌実作、短歌に関わる書簡や散文をピックアップしました。
・ 光太郎回想・訪問記 「高村光太郎の抒情詩的エピソード」(抄) 平野威馬雄
詩人、フランス文学者の故・平野威馬雄氏(料理研究家・平野レミさんの父上です)による、戦時中の光太郎回想です。三河島にあった光太郎行きつけのトンカツ屋「東方亭」が一つの舞台です。
・ 光雲談話筆記集成 雑誌『キング』より
総合雑誌『キング』に載った、光雲の談話筆記2篇。「昔の芝居と今日の芝居」、「猫の話 鑿の話」。
・ 昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 第十三回 盛岡市
見つけるとついつい購入してしまう、光太郎智恵子ゆかりの地の古絵葉書を用い、それぞれの地と光太郎智恵子との関わりを追っています。今回は昭和20年(1945)から27年(1952)まで、花巻町、そして花巻郊外の太田村に住んでいた光太郎が、確認できている限り8回は足を踏み入れた、花巻から北に40㌔㍍弱の盛岡を扱いました。

・ 音楽・レコードに見る光太郎 「われら文化を」(その二)
昭和17年(1942)、信時潔(のぶとききよし)により作曲され、岩波書店店歌として、社章のデザインなどで光太郎と懇意にしていた同店店主・岩波茂雄の依頼で作られた、「われら文化を 岩波書店の歌」についてです。
・ 高村光太郎初出索引(十三)
生前に公表されたと思われる光太郎詩文のうち、初出発表誌不明・不詳等のもののリストとなります。

B5判、全45ページ。手作りの冊子ですが、ご入用の方にはお頒けいたします(37集以降のバックナンバーも)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願いいたします。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい。
ゆうちょ口座 00100-8-782139 加入者名 小山 弘明
よろしくお願い申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
幾何学の公理は中学校の生徒にも一応は認められる。けれども、芸術上の公理になると、凡才には少し解らなくなる。一身を芸術に燃やして真に人間の世に生きる非凡な勉強家だけに解る。
散文「文展分評 彫刻」より 大正4年(1915) 光太郎33歳
さて、いよいよ明日は第62回連翹忌。「一身を芸術に燃やして真に人間の世に生き」た光太郎を偲び、盛会となることを祈念いたしております。