昨日は横浜で2箇所を廻りました。
横浜ですと、公共交通機関で行くより自家用車の方が手っ取り早いので、昨日もそうしましたが、首都高湾岸線その他がかなりの渋滞で、しかたなく途中から京葉道に入って南下、遠回りになりますがアクアライン経由で行きました。
途中の海ほたるPA。数年ぶりにアクアラインを通りました。ちなみに帰りは普通に湾岸線を使いましたが、やはり大渋滞。それもそのはず、東京港トンネルのど真ん中で、大型トレーラーが故障で停車していました。
横浜に入り、まずは港の見える丘公園内の神奈川近代文学館さんへ。自宅兼事務所のある千葉の桜は9分咲きといったところでしたが、こちらは満開でした。
過日、ご紹介した特別展「生誕140年 与謝野晶子展 こよひ逢ふ人みなうつくしき」。
晶子の一生を時系列で追う展示が基本で、非常にわかりやすくまとまっていました。「プロローグ 乙女となりし父母の家――故郷の町・堺」、「第一部 『みだれ髪』の歌人――新しい時代を拓く」、「第二部 晶子の「源氏物語」――古典と現代をつなぐ」、「エピローグ 冬の夜の星君なりき――激動の時代の中で」。合間に「スポット 晶子のまなざし(①女性たちへ/②子どもたちへ/③若者たちへ)」、「スポット 旅を詠む/晶子と神奈川」。
個人的には、明治44年(1911)、光太郎が絵を描き、晶子が短歌を添えた屏風紙二点を、特に興味深く拝見しました。その存在自体は、平成23年(2011)に、大阪の逸翁美術館さんで開催された企画展「与謝野晶子と小林一三」の図録を入手して存じておりましたが、実物を見たのは初めてで、大興奮でした。
図録も充実しています。歌人の尾崎左永子氏、今野寿美氏、さらに連翹忌にもご参加下さったことのある、山梨県立文学館館長・三枝昻之氏(ちなみに山梨県立文学館さんといえば、平成25年(2013)に、「与謝野晶子展 われも黄金の釘一つ打つ」が開催され、行って参りました。)などの玉稿が掲載され、図版も豊富です。
これで600円は、超お買い得(笑)。
皆様もぜひ、足をお運び下さい。
その後、みなとみらいの横浜美術館さんに移動、「ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより」展を拝見して参りました。そちらのレポートは明日。
【折々のことば・光太郎】
私は生(ラ ヸイ)を欲する。ただ生(ラ ヸイ)を欲する。其の餘の贅疣(ぜいいう)は全く棄てて顧みない。生(ラ ヸイ)はただ一つである。「無くて叶はぬものはただ一つなり」と言つたクリストの心は私の心である。
散文「文展の彫刻」より 大正2年(1913) 光太郎31歳
造型でも詩でも、光太郎芸術の根幹をなす「生(ラ ヸイ)」が語られています。「生(ラ ヸイ)」は、仏語の「La Vie」。一般に「生命」、「命」と訳されます。