3件ご紹介します。

まず、今月15日の『沖縄タイムス』さんから。

[記者のメモ]/教え子の質問にドキリ

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○…市長選の応援で訪れた石垣で、八重山高校赴任時代の教え子と再会した赤嶺政賢衆院議員(共産)。当時の生徒らは62歳になっていた。「先生の声が大きくて眠れなかった」などの思い出話もあり、懐かしかったという。「高村光太郎の詩はまだ暗唱しているよ。先生も覚えてる?」と聞かれドキリとしたエピソードも。初めて教壇に立った時の生徒たちを前に「教員として未熟な自分を受け入れてくれた。生徒の人生に何かしらを与えられてたらうれしい。エネルギーをもらった」と、英気を養った様子。


赤嶺氏、おそらく教員時代、教え子の皆さんに光太郎の詩を暗唱させたのでしょう。「当時の生徒らは62歳」とありますから、少なくとも40数年前のことですね。

光太郎の代表作「道程」などの短い作品であれば、40数年経っていても記憶に残っているとしてもおかしくありません。


「道程」といえば、当方にとっては実にショッキングな報道がありました。昨日の『デイリースポーツ』さんです。 

サンプラザ中野くん 卒業生への言葉が名言と話題「皆さんの前に道はありません!」

 歌手・サンプラザ中野くん(57)が、00321日放送のTBS系「CDTVスペシャル!卒業ソング音楽祭2018」(午後7・00)に出演。番組内で今春に卒業する若者たちに向けて発した言葉が名言だと、ネット上で話題になっている。
 中野くんは番組で「大きな玉ねぎの下で」を歌唱。その後に、新たな世界に出発する若者たちにメッセージを求められると「卒業おめでとうございます」と祝福し「皆さんの前に道はありません!皆さんの後に道ができます」と伝えた。
  「無限のフィールドを思い思いのスピードで、方向へ駆け抜けて行ってください。いつまでも応援し続けます!Runner!」と拳を突き上げた。
  この言葉にネット上が反応し「これは名言すぎる」「ぐっときた」「何気にめっちゃいい言葉やん」「校長先生顔負けの名言」とのコメントが相次いでいる。


当然、中野くん氏は「道程」を念頭にこの発言をなさったはずなのですが、この記事を書いた記者さん、それから中野くん氏オリジナルと思って賞賛したネット住民の皆さん、それに気づいていないというわけです。

実際、一昨日のtwitterのツイート(つぶやき)を見てみると、記事にあるような賞賛の言葉が見受けられます。同時に、さすがに「道程」からの引用だと気づいた方もたくさんいらっしゃり、少し安心しました。

曰く、「まさか引用でこんなこと言われるとは、中野くんさんも苦笑いだろうなwww」、「高村光太郎が泣いてるわ。」、「高村光太郎の言葉を自身の言葉として称賛されてしまったサンプラザ中野くんが困っています。」、「有名な言葉やんって聞きながら思ってたけど、オリジナルみたいになっててびっくりするわ。」……。

一般的な国語の教科書には、もはや「道程」が載っていないようなのですが、それにしても……と思いました。この調子でいくと、数十年後には「高村光太郎? 誰、それ?」、「「道程」? 何じゃそりゃ?」という時代がほんとにやってきてしまうのかも知れません。当方、そうなることを最もおそれているのですが……。

ちなみに「道程」、大正3年(1914)の詩集『道程』に収められたショートバージョン(決定形)、それからそれに先立つ雑誌掲載時の102行ロングバージョン(初出形)ともに、先月のこのブログでご紹介しております。ご覧下さい。


もう1件、『東京新聞』さんから。ただ、紙面に載ったのか、web上だけのものなのか、当方、購読しておりませんし、地元の図書館でも置いていないので、わかりません。 

日々チョウカンヌ 3月13日

1883年の今日は、彫刻家で詩人004の高村光太郎さんのお誕生日。妻への気持ちをつづった詩集「智恵子抄」は映画化もされ、多くの人に愛されたわ。


「チョウカンヌ」というのは、ツイッターによれば「身も心も新聞でできている」、「今は東京新聞の公式キャラクターになるために、毎日がんばっているところ」だそうです。

イラストでは「詩人として有名な高村光太郎さん」とリスペクトして下さっていますが、先ほどのサンプラザ中野くん氏の記事を見ると、「有名な」の一語はもはや風前の灯火かも、と心配になってしまいます。

そうならないよう、光太郎智恵子の啓発に、今後とも取り組む所存であります!


【折々のことば・光太郎】

僕等の欲する画は真を模(うつ)したものではない。美しい生命をうつしたものである。眼に見える所謂真をうつした絵画は古来飽きあきするほど見せつけられてゐる。醜(きたな)い真の再現はもう沢山である。

散文「ENTRE DEUX VINS」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

そして光太郎、ヒユウザン会(のちフユウザン会)などで発表した自身の絵画は、大胆な色遣い、烈しいタッチのフォービズム(野獣派)風のものを実作していきます。