信州安曇野の碌山美術館さんから、館報第38号が発行されました。光太郎の盟友・碌山荻原守衛の個人美術館ということで、毎年、光太郎がらみの企画を開催して下さっており、館報にそれが反映されています。

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表紙は最近同館が寄贈を受けた斎藤与里の絵画。斎藤は守衛や光太郎ともども、中村屋サロンに出入りしていた画家です。のちにはやはり光太郎ともども、ヒユウザン会(のちフユウザン会)に参加しています。

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手前味噌で恐縮ですが、昨年12月2日に同館で開催された、美術講座「ストーブを囲んで 「荻原守衛と高村光太郎の交友」を語る」の筆録が掲載されています。同館学芸員の武井敏氏と、当方の対談形式でした。

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それから、やはり昨年4月22日の第107回碌山忌での研究発表フォーラム・ディスカッション「荻原守衛-ロダン訪問の全容とロダニズムの展開-」でのご発表を元にされた、彫刻家・酒井良氏の「ロダンと荻原守衛」。

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さらに、これもやはり昨年7月から9月にかけて開催された夏季企画展示「高村光太郎編訳『ロダンの言葉』展 編訳と高村光太郎」にからめ、同館館長・五十嵐久雄氏の論考「荻原守衛のロダン訪問の考察」。 明治44年(1911)の、与謝野寛・晶子夫妻のロダン訪問にも触れられています。

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その他、今年が同館の開館60周年にあたるということで、その関連記事と、来年度の予定表。

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また近くなりましたらご紹介しますが、やはり企画展で軽く光太郎に関わるようです。

毎号充実の内容で、今号は52ページ、カラーを含め、図版も多数収録されています(当方のまずい顔も(笑))。4月2日の第62回連翹忌にご参加下さる方には、館のご厚意で無料配布いたします。そうでない方は、館の方にお問い合わせ下さい。


【折々のことば・光太郎】

作の力といふのは生(ラ ヸイ)の力の事だ。作つた像が力のあるべき形をして居てもこの力が無ければカルメラが膨れ上つて居る様なものになつてしまふのだ。
散文「第三回文部省展覧会の最後の一瞥」より
 明治43年(1910) 光太郎28歳

前年秋に開催された文展の評です。「生(ラ ヸイ)」の有無が、光太郎にとっての彫刻の善し悪しとして語られるようになります。非常に観念的、主観的な見方ですが。

それがある作品として紹介されているのが、守衛の「北條虎吉氏像」でした。曰く「他の作と根を張つてゐる地面が違ふやうにちがふ。」「此の作には人間が見えるのだ。従つて生(ラ ヸイ)がものめいてゐるのだ。僕が此の作を会場中で最もよいと認める芸術品であるといふのは此の故である。」。

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ついでですので、上記の碌山美術館さん館報から画像をお借りしました。