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文字に美はありや。
2018年1月12日 伊集院静著 文藝春秋 定価1,600円+税文字に美しい、美しくないということが本当にあるのだろうか、というきわめて個人的な疑問から歴代の名筆、名蹟をたどっていくものである。(本文より)
歴史上の偉大な人物たちは、どのような文字を書いてきたのか。
1700年間ずっと手本であり続けている”書聖”の王羲之、三筆に数えられる空海から、天下人の織田信長、豊臣秀吉や徳川家康、坂本龍馬や西郷隆盛など明治維新の立役者たち、夏目漱石や谷崎潤一郎、井伏鱒二や太宰治といった文豪、そして古今亭志ん生や立川談志、ビートたけしら芸人まで。彼らの作品(写真を百点以上掲載)と生涯を独自の視点で読み解いていく。2000年にわたる書と人類の歴史を旅して、見えてきたものとは――。この一冊を読めば、文字のすべてがわかります。
「大人の流儀」シリーズでもおなじみの著者が、書について初めて本格的に描いたエッセイ。
1700年間ずっと手本であり続けている”書聖”の王羲之、三筆に数えられる空海から、天下人の織田信長、豊臣秀吉や徳川家康、坂本龍馬や西郷隆盛など明治維新の立役者たち、夏目漱石や谷崎潤一郎、井伏鱒二や太宰治といった文豪、そして古今亭志ん生や立川談志、ビートたけしら芸人まで。彼らの作品(写真を百点以上掲載)と生涯を独自の視点で読み解いていく。2000年にわたる書と人類の歴史を旅して、見えてきたものとは――。この一冊を読めば、文字のすべてがわかります。
「大人の流儀」シリーズでもおなじみの著者が、書について初めて本格的に描いたエッセイ。
目次
なぜ文字が誕生したか/龍馬、恋のきっかけ/蘭亭序という名筆、妖怪?/桜、酒、春の宴/
友情が育んだ名蹟/始皇帝VS毛沢東/木簡からゴッホの郵便夫へ/
紀元前一四〇年、紙の発明/書に四つの宝あり/猛女と詩人の恋/弘法にも筆のあやまり/
美は万人が共有するものか/二人の大王が嫉んだもの/我一人行かん、と僧は言った/
素朴な線が、日本らしさへ/信長のモダニズム・天下取りにとって書とは?/
数奇な運命をたどった女性の手紙/秘伝の書、後継の書/”風流”とは何ぞや/
芭蕉と蕪村、漂泊者のまなざし/ユーモアと葛藤/戯作者の字は強靭?/
水戸黄門と印籠と赤穂浪士の陣太鼓/平登路はペトロ、如庵はジョアン/
丁稚も、手代も筆を使えた/モズとフクロウ/親思うこころ/一番人気の疾馬の書/
騎士をめざした兵たち/幕末から明治へ、キラ星の書/苦悩と、苦労の果てに/
一升、二升で酔ってどうする/禅と哲学の「無」の世界/生涯”花”を愛でた二人の作家/
山椒魚と、月見草の文字/書は、画家の苦難に寄り添えるのか/書は万人のものである/
困まった人たちの、困まった書/文字の中の哀しみ
友情が育んだ名蹟/始皇帝VS毛沢東/木簡からゴッホの郵便夫へ/
紀元前一四〇年、紙の発明/書に四つの宝あり/猛女と詩人の恋/弘法にも筆のあやまり/
美は万人が共有するものか/二人の大王が嫉んだもの/我一人行かん、と僧は言った/
素朴な線が、日本らしさへ/信長のモダニズム・天下取りにとって書とは?/
数奇な運命をたどった女性の手紙/秘伝の書、後継の書/”風流”とは何ぞや/
芭蕉と蕪村、漂泊者のまなざし/ユーモアと葛藤/戯作者の字は強靭?/
水戸黄門と印籠と赤穂浪士の陣太鼓/平登路はペトロ、如庵はジョアン/
丁稚も、手代も筆を使えた/モズとフクロウ/親思うこころ/一番人気の疾馬の書/
騎士をめざした兵たち/幕末から明治へ、キラ星の書/苦悩と、苦労の果てに/
一升、二升で酔ってどうする/禅と哲学の「無」の世界/生涯”花”を愛でた二人の作家/
山椒魚と、月見草の文字/書は、画家の苦難に寄り添えるのか/書は万人のものである/
困まった人たちの、困まった書/文字の中の哀しみ
月刊誌『文藝春秋』さんの平成26年(2014)1月号から昨年の4月号まで連載されていた、「文字に美はありや」の単行本化です。
平成26年(2014)10月号の「第十話 猛女と詩人の恋」で光太郎に触れて下さいまして、同じ題で収録されています。ちなみに「詩人」は光太郎ですが、「猛女」は智恵子ではなく、同じ回で光太郎と共に取り上げた光明皇后です。
雑誌初出時の図版はカラーでしたが、単行本化されたものはモノクロ写真となっており、その点は残念ですが、オールカラーにすると定価を跳ね上げざるを得ないので、いたしかたないでしょう。
光太郎の書は、画像にもある木彫「白文鳥」(昭和6年=1931)を収めるための袱紗(ふくさ)にしたためられた短歌、詩「道程」(大正3年=1914)の鉛筆書きと見られる草稿が取り上げられています。また、光太郎の書論「書について」(昭和14年=1939)も紹介されています。
通常、雑誌連載を単行本化する際には、加筆がなされるものですが、光太郎の章では逆に連載時の最後の一文がカットされています。曰く「智恵子への恋慕と彼の書についてはいずれ詳しく紹介したい。」おそらく伊集院氏、連載中にはもう一度光太郎智恵子に触れるお考えもお持ちだったようですが、それが実現しなかったためでしょう。どこか他のところででも、がっつり光太郎智恵子の書について語っていただきたいものです。
他に、光太郎智恵子と交流のあった人物――夏目漱石、中村不折、熊谷守一、谷崎潤一郎ら――、光太郎が書論で紹介した人物――王羲之、空海、良寛ら――についても触れられており、興味深く拝読しました。
ぜひお買い求めを。
【折々のことば・光太郎】
書などといふものは、実に真実の人間そのもののあらはれなのだから、ことさらに妍を競ふべきものでなく、目立つたお化粧をすべきものでもない。その時のありのままでいいのである。その時の当人の器量だけの書は巧拙にかかはらず必ず書ける。その代り、いくら骨折つても自分以上の書はかけない。カナクギ流でも立派な書があるし、達筆でも卑しい書がある。卑しい根性の出てゐる書がいちばんいやだ。
散文「書についての漫談」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳
光太郎最晩年、最後の書論の一節です。彫刻に関しては、壮年期を除いて個展開催に興味を示さなかった光太郎ですが、最晩年には書の個展を本気で考えていました。それだけ自信もあったのでしょう。