今月一日に行われた、平成30年度埼玉県公立高等学校入学者選抜の国語の問題文に、光雲・光太郎父子が登場しました。ちなみに昨年は群馬県の社会の問題に光雲が出題されています。
いきなりの大問1、文学的文章の長文読解問題で、出典は一昨年、集英社さんから刊行された原田マハさん著『リーチ先生』です。明治41年(1908)、イギリス留学中の光太郎と知り合い、その影響もあって日本への憧れが昂じ、来日した英国人陶芸家のバーナード・リーチを主人公とする小説です。
物語は、大正9年(1920)までの滞日中、そして帰国後の3年間、リーチの助手を務めたという設定の、架空の陶芸家・沖亀乃介を主人公とし、彼の存在以外はおおむね史実に添った内容となっています。光太郎、光雲、そして光太郎実弟の豊周も登場します。
作者の原田さん、この『リーチ先生』で、昨年、第36回新田次郎文学賞を受賞なさいました。
さて、埼玉の高校入試問題。web上に問題、模範解答が公開されていますが、『リーチ先生』の本文自体は「掲載許諾申請中」だそうです。しかし、問題文から、どの箇所が抜粋されたか推定できました。まず、リーチが来日直後、まだ欧州にいる光太郎からの紹介状を手に、駒込林町の光太郎実家に光雲を訪ねるというくだりです。
問1は、光雲のセリフから。「困ったやつ」は光太郎です(笑)。「誰や彼や」の中には、この小説の主人公、亀之介も含まれます。亀之介もひょんなことから知り合った光太郎の紹介で、光雲の元で書生をしているという設定で、このシーンがリーチと亀之介の初対面です。
ちなみに正解は「エ」。「ア」~「ウ」の気持ちも、全くなかったとは言い切れませんが(笑)。
続いて問2は、ある意味、無謀にも来日したリーチの心情に関して。
問3は、主人公亀之介の何げない行動から、その心情を問う問題。
リーチが光雲邸を訪れた翌日、光雲に東京美術学校へ連れられていった帰路、通訳として同行した亀之介との会話のシーンからです。
亀之介はかつて横浜の食堂で働いており(そこで光太郎と知り合いました)、船員たちとの会話から自然と英語を身につけていました。そして美術家を目指し、光雲の元に書生として厄介になりますが、専門の美術教育を受けたわけではなく、ある意味、恵まれた環境で学ぶことが出来ている美校生たちへのコンプレックスが、ぬぐいがたく存在しました。
そんな亀之介の鬱屈や屈託を察したリーチは、亀之介を励まします。
それを受けて、問4。
正解は「イ」。
この後、亀之介はリーチの通訳兼助手として、ともに陶芸の道に進み、リーチの母国・イギリスのセント・アイヴスまでリーチについていくことになります。そして、陶芸家としての才を花開かせて行く、というわけです。
大問1、最後に表現上の特色を問う問5。「適切でないもの」「二つ」というところがミソですね。解答用紙に枠が印刷されているはずですので、一つしか選ばないうっかり者はそういないと思いますが、「適切でないもの」を見落とし、あてはまるものを選んでしまうのは、中学生レベルではありがちです。
もし「しまった、自分がそうだった、どうしよう」という中学生さんがいましたら、大丈夫です。他にもけっこういますから(笑)。
ちなみに正解は「ウ」と「オ」です。「オ」は引っかけですね。全体のテーマは「芸術に対する熱い思い」ですが、この場面ではそれはそれほど語られていません。よく読めば、具体性に欠ける無理矢理設定した選択肢だというのは読み取れます。
それにしても、一昨年に刊行されたばかりの『リーチ先生』が問題文に使われるというのは、少し驚きました。
中学生諸君、入試も終わって時間が出来たところで、もう少し落ち着いたら、ぜひ全文を読んでほしいものです。
【折々のことば・光太郎】
その気魄は内潜的である。その風趣は清潔である。煩瑣感が些かも無く、洗練された単純感が全体を貫く。
散文「東大寺戒壇院四天王像」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳
昨日ご紹介した「戒壇院の増長天」を含む、奈良東大寺の戒壇院の四天王像に関するものです。古代の作品の評ながら、光太郎が目指した彫刻、それに限らずすべての芸術のありようを示しているように思われます。